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zoom RSS 高齢期は自分との対決、「将来幻想=希望」が失われた時

<<   作成日時 : 2017/09/28 12:06   >>

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若い頃はそのときがいかにどん底であろうと、いま努力すれば将来良くなると
いう希望を持って生きることが出来る、若い頃は人生のプレッシャは大きいがそ
れが即ち生きるエネルギーとなり、将来の自分の姿で対処できるという、人生
自体が活動期という幻想でも強みがある。今は女性にモテなくても、将来、金も
できてモテるようになる、という「今後努力して」の「将来幻想」が常にもてる。た
とえ孤独でも「将来孤独でなくなる」という切なくても希望、即ち将来幻想で今を
耐えることが可能である。まだ先がある、先に解決する、・・・・今はだめでも医学
部でも再受験し、合格できたら将来はお医者さまになれる。無論、そんな簡単に
いくはずはないが、全ては将来幻想、希望である。残された時間、人生のステー
ジがそれらを許容する、当たり前の話にしても若さとはそんなものだ。

 だが高齢期はそれらは全ては剥落してしまう、例外的人物を除いて、今はだめ
でも将来挽回、がまずあり得なくなる。絶対にないわけではないが高齢期でも加
齢に従い、ますます限りなく細る。
 
 その時点の現実が、・・・・・それまで生きた人生が、まず自分に納得できる、ある
程度は満足できる、幸福だと思える人生であるかどうか、過去はもはや過ぎ去っ
て先は短い、過去の記憶が現在を否が応でも支配してしまう。およそ不満な為す
術もない人生、そんな納得できない人生を過ごした場合、その高齢期、リタイアし
てしまった場合、心の有り様が窮地に陥る。

 もちろん高齢期の生活自体の安定、ここで経済的に苦しむ、さらに住宅の問題
で悩むようでは将来幻想の喪失以前である。そのような問題はさておいての、本
質的問題として、高齢期の本質的問題としての過去の自分の人生と、一度限り
の人生とイヤでも対決、といういわば高齢期の限界状況である。そこで狼狽して
悲歎にくれるかどうか、である。  

 人生の終末はあらゆる意味で限界状況が訪れる。孤独である、もう高齢者を
相手にしてくれる人など、周りに同年輩はいたところで、いるはずもない。ホーム
は地獄である。

 将来幻想は失われ孤独に襲われ、さらに経済問題、住宅問題という日常の
深刻な諸問題にも襲われる。それでも生き続ける自分とは何なのか,生きてきた
意味があったのか?若い頃、壮年期、やや老年期のゆとりはそこにはない。ただ
悠々自適で精神的にも満足という人はいい、しかし逆に高齢期こそ、自分と対決
せざるを得ない、実存的な悩みに襲われるものである。だがもうどうしようもない
自分の一回きりの人生 、生きるか死ぬかの瀬戸際といてt過言ではない。

 高齢期においても明確な人生の目的を持たなければ一日たりとも生きてはい
けないのである。

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高齢期は自分との対決、「将来幻想=希望」が失われた時 つぶやき館/BIGLOBEウェブリブログ
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