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zoom RSS なつかしの江戸川乱歩、その臨床的人間解剖 (山田風太郎)

<<   作成日時 : 2017/09/26 09:56   >>

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編集者としての乱歩:先ごろ、講談社から出た江戸川乱歩全集の広告
に「なつかしの乱歩」という言葉があって、うまい言葉を見つけたものだと感
心した。もっともこれは、宣伝文を書いた人の手柄ではなく、以前、どこかで
聞いた言葉である。

 乱歩さんはたしかに懐かしい。これは私が個人的に乱歩さんを知っていた
からでもあるが、しかし公平に見て多くの読者が、「なつかしの乱歩」という
言葉を肯定されるはずである。ほかにも数多くの物故された大作家はあるに
せよ、「なつかしの・・・」という形容詞をかぶせてこれほどピッタリする人はい
ないだろう。

これは乱歩さんが少年物を書かれていたせいもあるかもしれない。「怪人
二十面相」が少年倶楽部に載り始めた、確か私の少年時代であった。しかし
、そればかりではないようなきがする。しかしそればかりではないような気が
する。さらに乱歩さんが好んで描かれた浅草趣味、ーCサーカスやお化け屋
敷や回転木馬やチャラメルの響きなど、ー大正時代への郷愁を呼ぶせいか
もしれない。でもまたそればかりでもないような気がする。私は対象や昭和初
期の浅草など現実には知らないのである。

 しかも乱歩さんが書かれる世界は決して本来なら常識的には「なつかしさ」
を誘うような世界ではない。だからいよいよ不思議である。乱歩さんの天性の
持ち味というしかない。

 調べてみると、すでに昭和3年の「新青年」に「懐かしの乱歩」という表現が
出ている。少年物や大正時代への郷愁ではないことは確かだろう。

 

  ★大人性と幼児性

  乱歩さんはしきりに「自分は子供っぽい」という意味のことをいわれた。し
かし、われわれから見ると、文字通りの大人であった。これは単に年齢の差
ではなく、「探偵小説40年」を読むと、宇野浩二氏が「江戸川には『大人』の風
格があり、『わけしり』の風格もあった・・・・・人間ばなれしているようで、人間
ばなれなど、すこしもしていない、ようなところもある、というような風貌の人で
あった」

 と書いており、それは最初にあった大正14年ころからの感じである。と述べ
ている。そのとき乱歩さんは31歳だから、これはもう天性の風格なのだろう。

 しかし乱歩さんが自らを「子供っぽい」といわれる意味もよく分かる。作家と
はたいてい、そうであるがそういう告白は率直なものだ。

 もっとも大抵の大人も、よく見ると子供っぽいものである。少なくとも子供っ
ぽい一面は持っている。

 晩年、紫綬褒章をもらったときの大げさな喜び要はあまり感心しなかったが、
しかし、これも乱歩さんの幼児性大人性の混合である。

 よく家の子郎党を連れてバーを練り歩かれたが、銀座の一流バーで悠然と
飲んでおられたかと思うと、落ち着くはては新宿の最下位の青線区域の安ニ
階で、真っ裸のパンスケを膝に乗せて大悦しておられた。若いものの真ん中で
、大長老の威厳などどこ吹く風で、そんなときの乱歩さんは、心から楽しそうで
、まさしく天衣無縫で大長老の面目躍如であった。しかもその翌日には大マジ
で外国推理小説についての論議をやっているのである。

乱歩さんに云わせれば、自分が本格推理小説などに夢中になっていること自
体が、そもそも幼児性の表れであり、一方で本格推理小説そのものが大人性
と幼児性の混合物であり、その幼児性こそが大人の遊戯である、という自信を
もっていた。地球上で一番「オトナ」とされる民族のイギリス人が世界で一番探
偵小説を愛するのはその証拠だ。

茫洋と緻密、放胆と几帳面、また「江戸川乱費」と言われるほどに使いっぷり
の良さ、と同時に奇妙な合理性、これも乱歩さんは大混合体であった。十数人を
引き連れてバーめぐりは以上のとおりだが、その追悼号を見ても、いかに多くの
人が乱歩さんの寄付や援助に感謝していたことか、である。

 しかし乱歩さんはタクシーに乗っても決して運転手にチップなど与えない人で
あった。950円で1000円札をだしてしかkり釣り銭は召し上げられる。それどころ
か他人がチップなど与えようとすると。「そんなことやめておけ」とたしまめる。
「タクシーの運転手にチップやっても後に何にも残らないじゃないか」しっかり対
費用効果を考えているのである。

  ★暗い乱歩!の一面

 全ては天地の差、及びようもないから、はじめから真似する気持ちはてんで
ないが、ただ一つ、乱歩さんの真似をしようと熱願しつつ、まだ思うにまかせな
いことがある。

 それは乱歩さんがしばしばやられた「休筆宣言」である。

 調べてみると、処女作発表以来四年目の昭和二年『新青年』4月号に「パノラ
マ島奇談」を発表してから,最初の休筆宣言を行い、昭和三年8月号同誌増刊
号に「陰獣」を発表まで一年三ヶ月ばかりお休みになった。

 つぎは昭和七年三月に第二回休筆宣言、翌年『新青年』11月号に「悪霊」を
発表まで一年七ヶ月お休みになった。つぎは昭和十年には七ヶ月の休み。さ
らに昭和十五年から終戦まで。戦後も昭和三十年の「化人幻戯」まで、その間
翻案物「三角館の恐怖」と少年物意外、創作の筆はとっていない。

 考えてみると、乱歩さんはまことに天寵に恵まれた方であの惨禍の極みの
戦争でさえ、何か乱歩さんには恵みを与えたのではないか。

 池袋の家は焼けず、出征の息子さんも無事帰還され、小説も、推理探偵
作家は執筆厳禁の中で、しかし乱歩さんはもう書けなくなっていた。が戦時
下に於いて中断された乱歩さんは戦後、読者が渇望の作家トップになって
いたのである。

 ともあれ休筆宣言など、乱歩ならでは出来ることである。私がやっても、お前
なんぞ,書いても書かなくても同じと冷笑されるであろう。

 ただ乱歩礼賛に終止しては無意味で他方、「暗い乱歩」に触れるべきだろう。

 だが容易に書けるものではない。かってある時、乱歩さんは私に「山田くんは
何をやるかわからん男だ」と言われた。非難ではないが、小説の上で乱歩さん
を何かおもちゃのように材料として扱いかねない、と懸念したのだろうか。

 「暗い乱歩」をご存知なのは未亡人お一人であろう。それは永遠に語られる
ことはなかったのである。

   
                            雑誌「噂」昭和46年9月号
 

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