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zoom RSS モルガン雪、世界に日本女性の魅力を認めさせた功績

<<   作成日時 : 2017/08/11 11:21   >>

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日本女性はミ魅力的な人は魅力的である。端的に言えば、モルガンお雪はその
実力、魅力を世界に認めさせた、日本最初の女性といっていい。基本的には京都
の士族の家の出、姉が芸者置屋を経営していた関係で自分も芸妓に。内面からに
にみでる、得も言われr魅力が外見の魅力と呼応して、世の男性を、内外問わず、
とりこにするほどの魅力があった。

 その詳細は評伝、伝記のるいは多いだろう、だがいかにアメリカ大財閥の創始者
の甥に一目惚れされ、結婚してもアメリカは日本人排斥、黄色人種排斥の嵐は激し
く、その魅力をもってしても「排日法」で国籍取得は叶わなかった。

 1907年、夫とともにパリに渡り、その魅力で社交界を席巻、だが夫も亡くなり、新た
な男性と夫婦同然となった(フランス人)我これとも死別、1938年、ヒトラーの欧州制
覇が現実味をおびる不穏な情勢の中1938年日本に帰国、京都に住んだ。

 1938年2月、フランスのマルセイユを出航の旅客船「靖国丸」でモルガン・雪、旧姓
、加藤雪、56歳が4月24日、日本に帰国。だが迎える日本人の目は好意的でも温か
くもなかった。猜疑心とアメリカ人に買われた女、という偏見に満ちたものだった。そ
の声は借金をせびるもの、財産を探るもの、外人との結婚を道徳に反すると非難す
るものなど、心の狭く歪んだものだった。

 そもそも外国人それ自体が珍しかった明治の時代、明治37年、アメリカ有数の大財
閥、モルガン家の係累、というか一員の創始者の甥、ジョージ・D・モルガンに京都で
見初められ、アメリカに連れて帰られた。当時の日本人女性としては考えられない、
国際性、国際舞台での活躍の女性となった。常識を超えた国際的な玉の輿に乗った
、女性であり、帰国した彼女はいたちどれほど資産、金を持っているのか、後期と嫉妬
が向けられた。

 モルガン・ユキ(雪)は明治14年,刀剣商を営んでいた父親が亡くなり、14歳から姉の
抱えていた芸者置屋に身をおいて祇園に出始めた。京都に遊びに来たモルガンに出
会ったのは19歳のときである。

 まったくもってジョージ・・モルガンはそれまでの人生でおよそ見たことも味わったこと
もない魅力をこの芸妓に感じて舞い上がった。だがすでに雪には京都帝大の川上俊
介という恋人がいた。彼女はこう言えば諦めると思って、モルガンに4万円の身請け料
を要求した。これは今なら10億レベルの大金でモルガンが応じるとは思えなかったが、
そのうち川上俊介は雪を裏切った。挙句にモルガンが雪の前で自殺未遂をおこすなど
収拾のつかないスキャンダルとして新聞種になった。

 明治37年1月、その求愛に折れた雪はモルガンと京都を出た。七条駅にはこの二人
を見ようという野次馬的な人がひしめいた。とにかく話題性では比べるものがないほ
どであった。ニューヨークで夫と暮らしたユキはパリの社交界に移った。1915年、4月
モルガンは心臓疾患で急死、10年余りの結婚生活は幕を閉じた。ユキは日本の国籍
を失っていたが、完全に無国籍となった。日本国籍を再び得ることは考えなかった。
あくまでモルガン姓にこだわり、再婚もしなかった。南フランスのニースで暮らしていた
がヨーロッパはナチスドイツの侵略が予想され、風雲急をつげていた。ユキは京都に
戻って生きることを決心した。

 京都の紫野の小さな家に住んで、「お金で買える幸福はもういらない」として小規模
な店舗を経営した。芸妓の経験を活かして日舞、華道などを教えた。1963年、昭和38
年5月、その波乱に富んだ81歳の生涯を閉じた。最後まで無国籍を貫いたのである。

 
   
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