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zoom RSS 子供を虐待する親をなぜ弁護するのか、擁護するのか?

<<   作成日時 : 2017/07/31 22:33   >>

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知恵袋の類を見ると「子供を虐待する親が理解できない」という質問があれば
、その「回答」の多くは「虐待する親ばかり責めても仕方がない」という具合の、
本音は「責めたところで無意味」というのではなく「虐待するには理由がある」とで
もいいたげな一種の擁護論、正当化論なのである。もちろん、虐待の肩をもつよう
な傾向の者が好んで「回答」しているにせよ、これは法律の世界、官界を見渡して
も明らかに存在する親による虐待擁護の社会風潮である。

民法に親による「懲戒権」が今なお規定され、最近まで「親は子供を懲戒場にい
れる」権利がある、この部分の廃止も児童虐待を生んで不適切だから、ではなく、
該当し得る「懲戒場が存在しないから」というのだから病膏肓に入れりである。国を
挙げてである、官民挙げてである。

 子供を虐待した親はまず必ず「しつけのためにやった」という。そう言えば正当化
される今に至る法制度、社会風潮が確固として存在しているからである。

 子を持って知る親の悪辣さである。現実に子供を持って、何があろうと子供をイジ
め、虐待することなどあり得ない話だ、と思い知らされた。成績が悪い、試験の点数
が悪かった、そんなことで子供を口汚くなじり、罵倒し、いじめる親など本来ありえな
い、親であればあり得ない、それは生まれ持ったひどい異常性格以外に原因は考
えられない、と分かったのである。試験が悪けりゃ反省して次頑張ればいいだけ、何
もイジメてさらに虐待などする理由はどこにもない。親の頭だった別にそれほどいい
わけでもないのだから。

 極めて長い年月にわたり、親による子度への虐待、イジメを正当化した法制度、
社会的意識は今なお何ら改善されていないといえる。子供をイジメ、虐待する親
の心情も理解してあげるべき、という要は虐待擁護論、正当化論に終止している


 端的に言って子供を継続的にイジめ、さらに虐待的行為を続ける親に弁護の余
地はない。一切の正当化の余地はない。「しつけのためにやった」といえば何でも
正当化される、というのは日本が長く一貫して親の子供への「懲戒権」をわざあざ
民法で認めているからであり、虐待の奨励である。
 
  私自身が明らかな異常性格の母親、また精神性をカケラも持たない名誉賤民
のような父親、冷酷を極める兄弟と、まさしく針の館に育った。彼らに言えることは
「誠の心」が一片たりとも持たなかったこと、こ心に尊いものは何一つ持たない人
間であったということ。その地獄の様相の家庭の中で長く執拗な母親のイジメ、さ
らに虐待行為、汚物以下の罵詈雑言の嵐が続いた。町の人も商店街通りに面した
この一軒だけは「特別」悪い意味で特別な商売人で、知らぬが仏だが、賤民同様に
みなしていた。今でもそうである。心の卑しさにそれが全て現れていた。

 もうとても書いてとか口で表現できるレベルではない惨憺たるイジメ、虐待であ
った。と言って母についてはその父親のキ印、子供を虐待するという異常性をそ
のまま引き継いでいた、祖父の性別が変わっただけであった。

 個別の事情は様々でも、いかなる場合でも、親の子供への虐待、イジメは絶対
に許されるものではなく、重大犯罪である。一人の独立した人格の尊重は徹底さ
れなければならない。今なお、この日本に法制度の上でも民衆の意識の上でも
親による虐待を正当化、あるいは擁護、さらに理解!する悪しき風潮は社会のま
さしく病根である。絶対に虐待は許されない、という社会的コンセンサスさえ確立
されていない。情けない話である。

 子供を守るのは親しかいない。その親から逆に虐待、イジメを受ける子供の心
情はどうであろうか。「虐待、イジメにも理由がある」、・・・・・・そんなバカな話は
あり得ない。虐待する卑劣な親に謝った道場、共感をもってはならない。

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子供を虐待する親をなぜ弁護するのか、擁護するのか? つぶやき館/BIGLOBEウェブリブログ
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