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zoom RSS 備中屋長衛門(矢掛町)物語、古民家再生に至った悲劇

<<   作成日時 : 2017/07/26 10:52   >>

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 最近の岡山県矢掛町の観光攻勢はなかなか凄まじい、長年、地道に
取り組んだ宿場町のイメージの街並み整備が活きてきているわけだろう
か。基本的には商店、また少企業経営の本宅が多いだけにその商売も
成り立たなくなり、後継者もいなくなり(もちろん例外もあって堅実に営業
を続けるところ、また商売替えで繁盛しているケースもある)、空き家とな
るケースが非常に多い。割りと大きめの古民家が空き家になると処置に
こまって解体撤去も実際多い。そうなると街並み整備も意味を成さない
ので町が買い取って全く別の施設に転用再生、古民家再生を行ってい
る。

 その例は谷山家が「矢掛町交流会館」、赤澤家、竹内家などによる
「矢掛屋」、また山部家の「備中家長衛門」などである。

 竹内の肥料屋さんが「矢掛屋」に古民家再生で転用できたのも驚き、で
もどんな家だったのか、子供の頃、親と一緒に店に入ったことがある、「こ
この息子さんは東大に行った」とか親は言っていた。

 で、・・・・・やや矢掛屋よりは新しい「備中屋長衛門」、・・・・後継者もなく
娘さんたちは結婚して出ていって親も亡くなり、空き家となった。ほってお
けば解体撤去だろうが、そうなると宿場町のコンセプトの町並み整備も台
無しになる。

  
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 この家、戦前から「山秀(やまひで)」という屋号でこの街では「分限者」、
すなわち金持ちとして知られていた材木商の商家の本宅であった。その
いえには山秀の屋号のもととなった祖先の息子、長男と次男家族が住ん
でいた。

 次男が跡を継いでいた。次男には男女一人づつ子供がいた。上が男で
下が女、その女の子と私は同級で、その子、なかなか可愛くて美人だった。
長男の家族には女の子が一人いた。なにか陸上をやっていた気もするが
、・・・中京大に進学したはず、陸上は本格化しなかった。

 ★次男の息子、後継者たるべきだったが高一で海水浴で水死

 分限者として有名を馳せ、本来なら空き家になるはずもなかった山秀
の家、山部家であるが思わぬ突発的な不慮の事故が結果として空き家
化を招いた。

 それは1965年、昭和40年、夏休み、長男は高一、長女は小6だった。
金持ち裕福で知られた山部家は既に自家用車を持っていた。その母親
が福山から来ているという事情もあってか。仙酔島の海水浴場に一家で
でかけた。車で出かける時、近所の人に窓を開けて長男が「いってきま
ーす」と元気に挨拶。

 そこと仙酔島の海水浴場。長男、当時高一が海に入って、・・・・いつま
でたっても上がってこない、流石に家族は狼狽した。管理者に連絡、

 マイクで管理者が

 「泳げる人、横一列でで手を繋いで海に入ってください、お願いします」

 そこで海に沈んでいる長男が発見された。ここで山部家は長女が養子
でも取らない限り断絶、空き家の運命となった。

 その私の同級生の長女、その10日後くらい、町から沙美の海水浴場
に、きっちり参加したというのが、・・・妖艶な水着姿を見せつけたが、・・・・。

 小学校の卒後30年同窓会に出たrその長女、学年を代表する美女でも
あった。今は大阪かな。さばけた感じの美人である。

 
画像


 稼業は割り箸製造だっただけに将来性もなく、婿養子も彼女はとらな
かった。選択肢としてはあったが、サラリーマンと結婚?田舎には大した
サラリーマンもいないし。

 山部家は空き家となって町が買い取り、隣のスーパーの土地の駐車場も
買い取ったようだ。かくして備中家長衛門は誕生したのだが。

 


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