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zoom RSS 永六輔さん、子供時代、青春時代の孤独

<<   作成日時 : 2017/07/25 12:07   >>

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  永六輔氏の談話:私は子供時代から仲間というものがなかった。戦前は、
永という苗字だけで子供の中でも相手にされなかった。寂しかったが慣れて
くると、いつも仲間はずれにされることに奇妙な安心感を覚えるようになった。

 自分の苗字が永というのも、ズンドウのポストが赤いのも、電信柱が高い
のも、全部、私が悪いみたいに思う子供だった。その寂しい気持ちを紛らす
ために読書に没頭した。

 私の小学校時代は戦争に明け暮れた時代だった。小学校四年で戦争が
激しくなるというので疎開した。当時は田舎と都会の学力の差は今からは
想像できないほど大きかった。疎開先では私はトップを通した。

 小学六年で終戦となった。

 東京に戻ると早稲田中学に入学した。今度はいくら勉強しても仲間に追い
つけないほどだった。挙句に、こんな勉強して成績が上がらないのはもう私
の頭が悪いからだと思うようになった。ただ真面目なことでは先生に信用は
あった。

 素行で親が学校に呼び出されることはなかったが、成績の悪さでは何度
も学校に呼び出された。ただうちの父は成績が全てではないといって、その
点について私を叱ったことはなかった。

 私の成績が精彩を欠いたのは勉強のやり方に原因があったと思える。と
いうのは、自分の興味があるものに、かかりっきり、というものだった。

 私はコツコツと一人で勉強したことを今では恥ずかしく思っているが、当時
はそれに誇りさえ持っていた。

 私の家はお寺で、現金収入は乏しく貧しかった。私はうまいものは食べた
いし、若者が悩むような悩みは一通り持っていたが、それは今になって思え
ば全てお金に繋がったようだ。

 お金を稼ぐためいろんなバイトをやった、高校二年の半ばからは放送の
原稿で稼ぎ始めた。アルバイトの中では芸能関係が一番、ワリが良かった。
今ではマスコミも競争の激しい社会になっているけど、当時は人材も乏しくて
高校生の私でもかなり仕事が舞い込んだ。バイトに精を出すとますます成績
は低下した。大学は早稲田に優先入学、と思いきや、私は国文科を志望した
が教師はとても無理で夜間の東洋史学を勧められた。当時は無試験みたい
なもので落ちる心配はなかった。

 早稲田に入ってからはますますバイトに精を出した。いつの間にやら大学
には行かなくなった。

 バイトばかりで自然と芸能関係の人たちと仕事の上で親しく付き合えるよう
になった。学校では得られないような友達も徐々に増えてきた。それが私の
考えも変えていった。私は子供時代から永という変わった名前のため、仲間
に入れてもらえず、一人でいることが気楽だった。寂しかったが相手にされな
いんじゃどうしようもなかった。だから本ばかり読んでいた。それがいちばん大
切ことだと思っていた。だが一冊の本を読むより、一人の人間と付き合うほう
がいかに大切であるか、ということを思い知らされた。

 読書は年を取ってからでもゆっくりできる。だが人との付き合いは若い時代
でなければ本当に味わうことは出来ない。それを思うともっと高校時代からで
も人と付き合っていたらと、悔しい思いがする。

                      
                         「俺も落生だった」青春出版社より抜粋


  1961年、銀座を歩く永六輔氏

  
  
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