つぶやき館

アクセスカウンタ

zoom RSS 空海は賤民差別思想の原点か、密教は仏教ではない

<<   作成日時 : 2017/07/24 22:15   >>

トラックバック 0 / コメント 0

 今に至る被差別部落、さらに賤民の歴史は長い、遥か古代の奴婢、奴隷
制度に発している。単に近世の政治的な事情で生じたわけではない。賤民
差別思想は古代から紛れもなく、というより古代から厳然として身分制社会
でありつづけた日本社会は常に賤民の差別思想が存在し続けたのである。

 空海は密教を日本に伝えた日本仏教史の中の巨人として認められて、は
なはだ偶像化されている。しかし、人間の平等を説くべき仏教においてヒン
ドゥー教え、バラモン教の形式を多大に取り入れた反仏教的な密教に染ま
ったためにそこの衆生の平等の思想は希薄である。逆に国家主義に染ま
り、被征服住民を人間として認めないなど、あきれた記述が目につく。

   
画像


 バラモン教全盛の古代インド、その集大成である「ウパニシャッド」は万物
に存在して神々を支配するブラーフマン、さらに生命の本体であるアートマ
ン、この相即一致としての梵我一如,そこから形式的な祭式万能主義が生ま
れた。業と輪廻による宇宙運命論を説いていたウパニシャッド、これはアーリ
ア人が持ち込んだというより遥か古代のさらに以前、霊魂崇拝の習慣が根付
いていたインド大陸の固有の事情によるとされる。

 そのウパニシャド哲学とバラモン教の支配知するインド大陸、ネパール・タ
タイ平原、シャカ族の王子として釈迦は生まれた。すでにバラモン教に因る
身分差別のカースト制度はインド亜大陸の隅々に浸透していた。釈迦はカー
スト制度にあぐらをかいて抑圧差別の支配の王子の身分に疑問を感じ、その
特権を捨て、一介の真理を求める乞食となって旅に出た。この原始仏教の
内容も膨大である。ただ本来の仏教が現実実践的な、いかに生き、病をいか
に克服し、そして老いて死んでゆく人間の避けられぬ運命への深い洞察と
思想に到達した。苦行、呪術などによる修行も何ら悟りに到達するものでは
あり得ないと。

 釈迦は苦しみ迷う民衆とともに生き、ともに迷い、ともに語る、真実の法を
求めようとして生きた。釈迦は絶対に無神論であったといえる。現実を超越
する絶対神など認める道理はなかった。反呪術、反祭典、半形式主義、反
王権主義であった。生まれつきの種族に因る違い、神々への距離がそれで
規定され、その血の属性は未来永劫変わらない、衆生の平等を説く釈迦に
バラモン教の教え、形式主義、社会差別などは認められなかった。そこには
稀有な無神論の宗教の姿が見えてくる。

 ★密教は仏教ではない

 といって仏教自体が変遷しているのであるが、最初の無神論、徐々に
大乗仏教の時代となり、万物に仏性という意味合いで特異な汎神論に
なったと見られる。だがヒンドゥー教の勢力拡大は著しく、その影響を
受けた密教化したインドの仏教は仏教の衣をまとった、ヒンドゥー教の
別の姿となる。当然有神論である。

 密教においてはもはやその中心は釈迦に代わって大日如来、盧遮那仏
、そこにあバラモン教の大宇宙原理のブラーフマンが投影している。その
周囲にずらりと並ぶヒンドゥー教の神々,・・・・胡麻を焚く加持祈祷、バラモン
教の形式主義的な祭典主義に似ている。さらにカースト制度の影響もその
仏典に見て取れる。神秘性はますます増して、仏教の本質は完全に失わ
れたというべきである・密教は仏教ではない。

 ★密教のバラモン教的性格に染まった空海の差別思想

 賤民が日本にいかに発生したかを考えるとヤマト朝廷自身が征服王朝
であり、その被征服民、異民族を奴婢、奴隷化し、賤民とみなしたことは
その原点である。

 密教は日本に空海などによって伝来すると即座に朝廷と緊密に結び
、衆生の救済ではなく鎮護国家思想として利用されたことは明らかであ
る。したがって朝廷、国家の手厚い庇護の下にあった。

 空海の異民族、賤民差別思想としてしばしば取り上げられるのは『遍
照発揮性霊集』である。続編の『補闕抄』において真言の弟子に大日如
来のもとで法を説く。

 『若し能く悟解し已るをば、即ち是を仏弟子と名づく。若し斯の義に違す
るをば即ち魔党と名づく。仏弟子は即ち是れ我が弟子なり。我が弟子は
是仏弟子なり。魔党は吾が弟子に非ず.。吾が弟子は則ち魔の弟子に非
ず。我及び仏の弟子に非ざるは所謂旃陀羅(旃陀羅)悪人なり。仏法と国
家の大賊なり。大賊は則ち現世に自他の利無く、後生には即ち無間の獄
に入る。無間重罪の人は諸仏の大慈も覆蔭すること能はざる所、菩薩の
大慈悲も救護すること能はざる所なり』(空海全集第六巻)

 旃陀羅はサンスクリット語の不可触賤民、バラモン教を侵す賤民を意味
すするチャンダーラの漢語化である。そのような不可触賤民には諸仏の
大慈悲の恩恵はない、無間地獄に堕ちると空海は断定している。

 ここには仏教の本質であるべきすべての衆生の救済、慈悲はかけらも
見られず、まさにカーストの差別思想である。一切その理由を考えては
いない。生まれるその避けられない種族民族で罪業がふりかかるという
のである。とんでもない思想である。

 空海は仏法とは国家の護持の道具である。仏法は国家、朝廷を護る
道具なのである。いずれにしても日本の古代社会も全くの身分制社会
であったはずだ。支配者、征服王朝のヤマト朝廷は先住民族を賤民と
していったのである。

 支配され、差別される衆生の救済こそ仏教に課せられた重い課題で
はないのか。空海はそれを一切考えようともしない。国家権力と結びつ
く利を最優先である。「旃陀羅は仏法と国家の大賊なり」空海からすれ
ば仏法=国家なのである。空海自身が旃陀羅大賊思想に凝り固まっ
ていたことは他の著述からも明らかである。先住民である蝦夷への敵
意と差別である。空海は蝦夷を戎狄、じゅうてきと蔑称して人間の仲間
ではないと決め付けた。北方の蝦夷を空海は悪鬼と見なした。数多くの
殺戮を行ったと決め付けている。本当にそうか?土地を奪われ殺戮さ
れたのは蝦夷ではないのか。「人面獣心にして,朝廷を肯ぜず」狼の
ような心と蜂の毒矢をもつ獣人だというのである。

 逆に朝廷に対してはあきれるような美辞麗句を並べ立てている。

 「今上陛下、体は金剛を練し、寿は石却よりも堅からん。無為垂拱
にして北辰を天長に争ひ、無事明哉にして南獄を将にして地久なら
ん」


 天皇制かあるから部落制度があるという考えがある。空海のこのよう
な惨憺たる差別思想と歯の浮くような朝廷礼賛の並立!をみればそれ
も宜なるかなであろう。

 

月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文
空海は賤民差別思想の原点か、密教は仏教ではない つぶやき館/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる