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zoom RSS 山本健一(山健組)の胸ぐらをつかんだ?乱暴者のわたしの父

<<   作成日時 : 2017/05/05 20:23   >>

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でも神戸山口組もどうなってるの、という感じかな。副組長がやめたって
いうけど神戸山口組の副組長なのか山健組の?でも山健組なら若頭とい
いますよね。・・・・。ここで思い出すのは無類の乱暴者だったわたしの父親
が終戦間際、鳥取の連隊の兵舎にいたとき、あの山本健一とおなじ部隊だ
ったという話、以前このブログに書きました。書いたけど、すべてを書いてな
い。

 そもそもわたしの父親は無類の乱暴者だった。といってヤクザじゃない、
正真正銘の格闘技の実力、柔道の実力者だった。戦前、国体ってなくて
明治神宮大会ってあった。岡山県の柔道の代表として参加したくらいだ。
学校に帰って皆の前で報告、「畏れ多くも天皇陛下が」というと皆、バシっ
と背筋が伸びて直立不動になったといいます。海軍省の水路部かな、今
なら海上保安庁の水路部となるのかどうか、そこに勤務しながら東京物理
学校、今の東京理科大の夜間に通っていた。だが昭和20年の5月だったか
、B29の山の手大空襲ではさすがに焼け出された。入隊はその後であるか
ら正味、在籍した期間は短かったはずだ。

 ともかく鳥取の陸軍の連隊に二等兵で入隊した。そこにいたのはあの後
年、山口組の若頭となった山本健一である。ヤクザ評論家なんて実際は
その時代のことなんか全然知らないんだから、いい加減なもんだよ。山健
が「それまではエリートコースを歩んでいた」まわ、私も実際どうかは断定で
きかねるにせよ、その時点で見たら忘れられない眉への入れ墨があった。
エリートコースを歩む人間がその年で眉に入れ墨を入れるかね?

 私の父ときたら柔道の実力者で腕っ節は無類に強かった。チンピラ風情
ではない筋金入りの乱暴者だった。旧制中学時代は喫煙で謹慎となって
しょっちゅう親が学校に呼び出されていたという不良じみた男だった。

 でその山本健一は軍隊でどうだったか?これがもう異常に上官にペコペコ
して、「あいつ眉に入れ墨なんかしているくせに、あの態度は何だ」と怪訝に
思われていたのは事実だ。山本健一の喧嘩能力は向こう意気のヤクザ的
なものでも、では実力、格闘技の実力は、となると私の父親の足元にも及ば
なかったのは事実だ。だが上官の命令こそは絶対の皇軍である。自信があっ
たのかなかったのか、本音は不明だが異常な平身低頭ぶりで私の父親など
の失笑をかっていた。

 だが終戦の天皇陛下のお言葉、瞬間、山本健一の態度が変わった。あれほ
どペコペコしていた上官に食ってかかった。上官も権威失墜でオタオタしていた
という。私の父親は、まあ、喧嘩は強い、腕力で勝てるものはめったにいない
、から山本健一はどうだった?これが歯向かってきたというのだ。だが実は無
頼なうちの親父である、「なにおー」とわめいて山健の胸ぐらをつかんで引き倒
したら何も言わなくなった、・・・・・ここまでなると親父が大言壮語であるのか事
実か、大ボラの可能性もある。だが。この軍隊と終戦の時点で山本健一の、そ
のごを示す性格は如実に現れている。上官に取り入る、媚びる、しかも半端で
はない。さらに機を見るに敏である。いざとなったら容赦なくゴロを巻く。

 無抵抗な芸能人、鶴田浩二を襲撃して芸能界での山口組の支配力の確立
に貢献したかのような山本健一だが、飯干晃一に私の親父は手紙を書いた
。「素手の喧嘩は強くはないが口喧嘩は強かった」、・・・まあ、どうだったのか
、わたしは何も申せませんが。

 だからというわけじゃないが、うちに昔、長く務めた男性、最高に円満でおと
なしい方だったが、なぜかその人の長男が倉敷市に山口組系列三次団体を
つくったことがある。伊藤組。早々に短銃襲撃事件を起こし、解散した。

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