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zoom RSS 右翼運動としての改憲運動をどう見るか

<<   作成日時 : 2017/05/04 09:32   >>

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 戦後の日本を規定している最大の戦後レジームというべきものは日米
安保体制、日米合同委員会、日本の司法をこえるもう一つの別の法体系
が存在していることで、味方によれば、国辱の占領体制が続いていると見
ることが十分可能である。他方、日本国憲法は、戦力不保持は特異だが、
それを除けば西欧民主主義国家の常識ともいえる主権在民、議会制民主
主義、基本的人権の保障、地方自治を規定している。

 というわけだが戦後すぐに日本の右翼運動は何よりも、どうみても常識的
な日本国憲法を打倒する、逆に日米安保体制、日米合同委員会、安保のた
めの国内法を超える別の法体系の存在には一切、批判めいたことは口にも
せず、逆に擁護しているのはこれこそが戦後の右翼運動の最大の特色であ
る。

 占領体制の持続化のような従属構造には一切批判は行わず、西欧的
価値の常識の国民主権、」基本的人権などを「押しつけ」だといい続ける
言い方はあまりに奇妙であろう。

 西欧的立憲主義の常識に立つ日本国憲法を否定すれば、あたかも敗戦
が帳消しにでもなるかと思っているようだ。占領体制継続の安保法制の支
配は擁護しても、である。


 端的に言えば右翼運動としての改憲とは本質は明治憲法回帰という
よりは、日本国憲法の否定、それ自体にある。否定するためには明治憲
法回帰となったというのが真実かもしれない。だから西欧的民主主義の、
いわば常識のような理念をも否定してやまないのである。

 日本国憲法の否定は大日本帝国憲法への回帰志向と一体のものであり
続けた。この、明治憲法は日本書紀、古事記の記述を明治の官僚の解釈
に基づく内容で絶対化して、架空の人物の「神武天皇」の即位の日!紀元
節に明治天皇から時の総理、黒田清隆に「賜与」されたものである。「公布
の前に代議士を招集し、議定すべき」という政府部内の声も一切無視して
立憲主義のかけらもなかった。

 明治憲法は近代憲法ではありえず、国家神道原理主義を憲法という名
の文書に押し込めた、実質宗教文書でああった。国家神道原理主義国家
宣言であった。すべての大権は天皇に、だがすべての森羅万象を天皇が
知る道理はなく、要するに近代ファシズムの冷酷な官僚警察制度で国家が
運営されるに過ぎない、「上官の命令は天皇の命令と思え」だが天皇がそれ
を知る道理はない、結局誰も責任を取らないという窮極の無責任体制の官
僚、警察国家が誕生したのである。極東国際軍事裁判ですべての大権を
有していた天皇が道義的責任すら問われなかったことは、いかにも無責任
国家らしい決着であった。

 国家神道原理主義を隠れ蓑として冷血の官僚警察国家、軍事国家を建
設下明治以降の日本を「伝統に基づく日本」、逆に戦後の日本を「偽り」と
いうのも伝統の履き違えの極みである。明治の価値観の内容はそれまで
の日本にあった思想を換骨奪胎はすれども、決して伝統と言えるものでは
なく、あらたな近代の神政国家を装ったユニークな近代ファシズム国家で
はなかったのか。

 そこで日本国憲法、日本会議の論客たちは戦争否定の気持ちは占領軍
に「洗脳された」などというが、庶民からすれば打ち続く戦争が終わって、
心底ホッとしたにすぎない。憎しみ合っての戦争より平和主義で経済建設し
、生活を豊かに、これこそが戦後の日本の経済成長を支えた庶民感情であ
った。

 だが戦後の右翼運動はこれを「偽りの日本」とみなしているのである。現
実に第二期安倍政権の法務大臣だった代議士は右翼サークルの会合で
「主権在民、基本的人権、平和主義がある限り日本の憲法ではありえない
」と放言しているのである。

 自民党憲法草案も表立って人権の否定、主権在民の否定はしにくかった
ようだが、表現の細かい部分まで権利抑制、国家の強権、国家主義の促
進の本音に満ちている。船田元代議士も「野党転落時代でエッジをきかせ
すぎた」と反省の弁を述べている。

 ★行政府の長の現行憲法否定の政治運動の牽引は罷免に値する


 安倍晋三自身は、「立法府の長」と口走る程度の知的水準である。だが祖
父が明治憲法回帰の「自主憲法制定国民会議」のトップであった特異な生
育環境からすべての良識をがスルーして戦前回帰の憲法運動を行うための
道具立て以上の俳優になれると見込んで日本会議が自民党総裁、ひいては
首相に押し立てた人物である。中身が無いのは折り紙付きだ。思いどおりの
発言をやってくれる俳優である。

 ★戦後の日本の改憲運動は一般論としての改憲でなく、バックラッシュの
右翼運動としてのものである。

  硬性憲法とはいえ、改憲の余地はある。戦力不保持規定も現実に即して
明確化する、これは必要だろうし、私立学校への予算投入すら違憲とみなさ
れかねない曖昧な規定も改憲の余地がある。

 だが、憲法第九条改憲は決 して右翼運動の本音ではないのである。

 国民主権否定、権利制限、国家神道原理主義を隠れ蓑とする強権国家
の建設が本音である。

 明治憲法は明治政府の伝統に反する価値観、制度創設による神話を隠れ
蓑とした疑似宗教文書である。これへの回帰運動が論外であることは言うま
でもない。

 ★世界のどこにでも転がっている元首より象徴の方がはるかに神々しく、
日本の伝統にも合致しているのは平成天皇のおっしゃるとおりである。とに
かく日本国憲法を否定したい、・・・逆に日米合同委員会体制は維持したい。

 右翼運動としての改憲運動はあまりに矛盾と論理破綻を孕んでいる。

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