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zoom RSS 外国人の見たニ・二六事件

<<   作成日時 : 2017/05/03 14:53   >>

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と書いたものの、その前にニ・二六事件とは何であった、という根本の問題が
存在する。陸軍内の軍閥の抗争、皇道派と統制派の骨肉の争い、もちろんそう
である、そうであるが軍閥の抗争という視点だけではニ・二六は語れない。日本
が明治維新以後、近代化を古代への回帰としてその実、新たな独自の価値観の
想像と諸制度を創設し、それまでの日本の歴史にはなかった国家神道原理主
義の基づく近代化、それが類を見ないほどの強権政治となった。

 だが国家神道原理主義を奉じて無類の強権弾圧国家になろうとも、それで国
家がうまく回転する道理はない。日清、日露で軍国を国家神道原理主義に取り
込んだ日本だったが、実は何一つうまくいかない。国民、圧倒的な数の農民の
生活は塗炭の苦しみであった。

 誤った国家的目標、国家原理で日本は運営された。だが国民、特に農村の窮
乏化は昭和に入って著しく、東北の農村を中心として娘の身売りまで横行する
飢饉、絶対的貧困、何が近代化か!と思える惨憺たる状況、何も現在のように
企業も商店も多くはない。農村の長男以外の男子、また小作農の子どもたちも
就職先などあるはずもない、あの経済的現実の中で、都市に紛れ込んでの流民
化、年の貧困問題も深刻を極めた。

 ここで国策として治安維持法の徹底化などで社会主義運動、社会改良運動は
叩き潰されている。もう国家原理の国家神道原理主義にすがる以外になかった
のである。

 軍隊以外に行き場のない農村の子弟たちの群れ、というより農村出身者が大
半の軍隊は農村の窮乏化に危機感を深め、行き着く先はファッショ的革新しか
あり得ず、現実的な有効な手立てといって、「尊皇討奸」というお題目での重臣
暗殺ていどであった。

 軍隊は農村子弟を収容しようとタダ飯をくわせるわけにもいかない。外地に出
て何かをぶん取らないと生きてはいけない。「八紘一宇」の外征侵略など後から
ついて来たものでしかない。メシが食えない農村の子弟、収容する軍隊、その
軍隊もメシを食わせるには外に出ての侵略行為しか生きる道はなかった。これ
こそ日本が戦争に転落の根本要因である。国内の経済発展を怠ったのである。

 もちろん伏線として皇道派の真崎甚三郎の更迭があった。陸軍内の主導権
争いである。相沢事件がニ・二六の先導となった。青年将校たちは相沢事件の
裁判を通じて昭和維新を誓った。

 高田1600名程度の陸軍部隊の叛乱でどうなるはずもない。一時的な占拠は
可能でも。昭和天皇は激昂し、鎮圧を命じた。戦力的にいくらかの重機関銃を
もつくらいではどうしようもないのは自明であった

 1936年2月25日、その夜東京はいつにない大雪となった。26日午前零時から
四時にかけ、歩兵第一連帯、歩兵第三連隊などの下士官、兵士たちに招集が
かかった。1600名近い部隊を率いて青年将校らは午前五時をきして作戦を開
始める。

 2月26日午前8時30分、叛乱軍の占拠した陸軍大臣官邸に真崎甚三郎が意
気揚々とやってきた。磯部浅一元一等主計が「閣下、統帥権干犯の賊類を討
つため決起しました」というと、真崎甚三郎は「とうとうやったか。おまえたちの
心はよおわかっとる。よおわかっとる」と嬉しげにいった。

 天皇陛下は「朕が最も信頼せる老臣をことごとく倒すは、真綿にて、朕が首を
締むるに等しき行為なり」と激怒した。叛乱軍の命運は尽きた。

★外国人、特にゾルゲのみたニ・二六事件

 後年、ゾルゲ事件で名を知られることとなったリヒャルト・ゾルゲ、ドイツ人。
アゼルバイジャンのバクー出身の独露の混血であった。表面上は熱心なナチ
党員、ゾルゲはニ・二六の翌月、「地政学雑誌」に寄稿した記事の中でニ・二
六事件の背景を分析している。

 『事件の根底には日本の「農民と都市小市民の貧困問題」が存在するとし
て、政党がそれらを本気で救済、取り組もうとせず腐敗し、無能を極め、将兵
の殆どは農村と都市小市民の出身である陸軍の軍隊が「農民と都市のこれ
らの階層の緊迫した状況の代弁者となるしかない」として「東京の部隊の叛乱
」の意義を結論づけている』

 ニ・二六事件勃発直後からゾルゲは叛乱軍、鎮圧軍の両方をドイツ大使館
記者証とカメラをもって駆け回った。その反乱決起側の主張や市民の反応を
つぶさに観察した。ゾルゲの身分はドイツの新聞の日本特派員であった。

 「3日めの朝、8時ころ、にわかに上空に飛行機の爆音が轟いた。爆撃機が
国会議事堂の上を旋回していた。低空に舞い降り、やがて急上昇した。爆撃
ではなく叛乱軍へのビラの投下であった。同時に叛乱軍陣地めがけて四方
八方から戦車、装甲車が突き進んでいった。その背後には突撃隊を先頭に
した歩兵部隊の縦列。実際の発射はなくにらみ合いだった。鎮圧軍が白兵
戦覚悟で議事堂前に来た時、観念したように疲れきった叛乱軍兵士たちが
隠れた場所から姿を表した。天皇の勅令はそれほど絶対だったのである」

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 ゾルゲはしかし同時にソ連赤軍の辣腕のスパイでもあった。ソ連に妻がい
たが、ビアホールレストランのウェートレス「ラインゴールド」の石井花子との
不倫もあった。ゾルゲグループは真珠湾奇襲直前、1941年10月摘発され、ゾ
ルゲは1944年処刑された。

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