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zoom RSS 「われらの大学 法政大学」小沢遼子、兼田みえ子、歴史的対談

<<   作成日時 : 2017/05/11 10:58   >>

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昭和51年、1976年夏の某週刊誌に掲載された小沢遼子と兼田みえ子の
対談、「われら大学第 法政大学」である。このシリーズとしては第17回目
である。

 ★ 我ら大学P法政大学  明るい反主流の伝統のもとに・・・・・・

 ♥小沢遼子  1937年、昭和12年、東京生まれ。県立浦和第一女子高校
から法政大学社会学部に進み、1965年、昭和40年卒業。法政大学在学中
から学生運動に参加、またベ平連の闘士として活躍。1971年、浦和市議会
議員に初当選、1975年、昭和50年に賽銭された。マスコミ界の女性論客と
しても有名。

 ♥兼田みえ子 1944年、昭和19年2月12日東京生まれ。1966年、昭和41年
法政大学文学部英文学科入学、卒業後、放送界、各局であらゆるジャンル
の企画を手がける。なかでも「走れ歌謡曲」はラジオ深夜放送の草分け的
存在、TVでは「ザ23」などに出演、エッセイなども執筆。

 小沢:今から考えてみたら法政って、あんまりデキの良い学生っっていなか
ったんじゃない。文学部はどうだった?

 兼田:いない(笑い)、なにしろ落差が大きかったから。ちょっと変わり種
がいて、あとはたいてい、のんびりというか、デキが悪いというのか。

 小沢:そんな法政になんで好き好んで入ったの?

 兼田:私が不良学生だったからね。高校の頃は演劇少女くずれという
感じで、ホントはソッチの方面に進みたかったんだけど、いろんな事情
で行けなかったんです。それなら両方やれる大学で、というので、なんと
なく、気楽にやれそうで「来る者は拒まず」という感じが法政にはあった
んです。だからその時点では、なにか一目惚れみたいな感情に支配さ
れて、簡単に決めてしまったの。

 小沢:私は高校時代、弁護士になりたかったんです。ところが高校を出
てすぐ胸を病んで、結核なんですが、・・・・・三年半も療養所にいたんです
。それでお医者さんに弁護士になるのは勉強などでハードだから絶対に
ダメっていわれて、勉強しないでは入れて、勉強はあんまりしないで卒業
デキそうな大学というので法政を選んだってわけ。だって法政って野球は
強いけどそれ以外は何にもないでしょ。私が法政に入った時、母に言った
ら、「あんなアカの大学に」と心底,イヤそうな顔をされたわ。

 兼田:それと、もう一つの名物はね、「HOSEI UNIVERSITY』という、あ
のネオン。しかも一部が欠けていてね、それで「ホテル・ウニーヴ」になっ
たりで、大学がぶっコケたらそのままホテルに流用できそうで、変に先を
行った建物だったネ(笑い)。

 小沢:あの当時、ネオンがついている大学って珍しかったわね。なにし
ろ、本当にケッタイな大学だったよ。左翼ズレの地方のインテリうとか地
方公務員の家の子が多かったわね、その一方で「ウォッス」という体育会
系もいてね、どっちにしても、あんまりスマートなイメージってなかったわ。

 兼田:でも、たまにお金持ちのお坊ちゃん、お嬢ちゃんみたいな人もい
て、・・・でも際立ったお金持ちっていなかったみたい、小じんまりとした
お金持ちの子供という感じでした。

 小沢:同じ若大将でも、「バンカラ」というイメージじゃなかったわね。

 兼田:・・・・・・・なかったわ。

 小沢:何か短い足を引きずっている感じ(笑い)、こんなことをいうと
法政に叱られるかな。

 小沢:私はね、全共闘運動華やかりし頃、いちど法政に呼ばれて行っ
たことがあるんですよ。そしたら「造反有理」とか言うもんだから、私は
言ってやったわ。「おやめ」ってね。そんなセリフは東大とか京大の連中
に任せておきゃいいのよ。そういう大学を出たら皆、エリートになれる。
でも法政を出たったなれるのはセールスマンくらいじゃないの。はたして
自分はこれでいいのかって、それくらいは考えてほしかったの。自己否
定どころじゃないんで、「俺だって、せめて大学卒の資格くらいほしい」
という自己肯定しかないじゃない。

 兼田:学生に向かって言ったの?

 小沢:そうよ、自己否定なんかしたら、あんたら何にも残らないじゃない
のって。

 兼田:なんかある人が否定するものだから。

 小沢:そうよ。

 小沢:そこよ、私はだいたい、法政って東大から来た教授共に食い物
ンされていると思うの。私は成績はよかったし、でも教授は「社会学部
で成績がいいからといっていい気になるんじゃないぞ。東大にいって
見ろ、君程度の学生はゴロゴロいるよ」っていうんだから。

 兼田:東大に入れない、とは言わなかった?

 小沢:言わなかったわよ。

 兼田:それがせめてものお世辞だったわけね。

 小沢:そういうきょうじゅがまた、皆、左翼でしょ。君たちでもこれくらい
なら分かるだろ、って感じ。

 兼田:そういう感じはたしかにあったわ。だからがクセ運動というのは
そのへんにうそ臭いものを感じて、私は斜に見ていたわ。一応は文学
部だから、洞察力はあったわよ。

 小沢:そういうふうになんとなくフラフラしちゃうというのは法政の学生
が「期待されざる人間像」だからよ、一流の大学だと親も「この子は将来
、出世するだろうと期待はするね。法政はもうあきらめちゃってね。でも
「六大学」だからって入ってくるんだもの。期待される人間は、それを重
荷と感じてもけっこうそのルートを歩んでいくものよ。だけど期待されな
い人間となると、ここ一番の頑張りがないのね。

 ★就職でうんざりする法政の学生ども

 兼田:私はその件には肯定するわ。法政の学生が不甲斐ないという
のは常々感じて入るけど、もう入ってしまったら仕方がない、という感じ
かな。でもそれは私には却って都合が良かったわ。いっそ、進路決定
の猶予期間として4年間をフルにエンジョイしちゃおうということになった
のよ。そういう意味では、実は相性のいい大学だったといえるかも。

 小沢:私も実はそうよ。私なんかまして病気で何年も遅れたでしょ。い
くら優の数が多くても年齢でいいところには就職できないのよ。最初か
ら諦めの心境の大学だけど、でもこんな面白い大学もまたないという
感じだったわ。

 兼田:もう入った途端にに、頼れるものは何もないと悟ったのよ。何も
かも自分でやらないといけないということで、日文を英文に転科したん
です。というのは優秀な秘書になるとか、あるいは外交官は無理として
も、せめていい亭主を見つけて外国暮らしができるような女になろうと
かね、・・・・・そういう計算があったんですよ。でも、いざ転部してみたら
、ここの男子学生はやっぱりグニャグニャしていて、ますます詰まらなく
なってしまって。そういうことで卒業したときは全くゼロという地点からの
スタートになってしまってね。卒業証書なんか破り捨てて、もうゼロから
始めようと、・・・・・そんな気持ちでしたね。

 小沢:私なんか入学自体が遅れてしまって、さらに肉体的なハンディ
があるでしょ、なおさらよ。3年や4年遅れたって東大出れば加藤諦三さ
んみたいに、三浪して東大に入ったことを逆に売り物にして評論家にな
れるわけじゃない。だけど三年も遅れて法政にはいりましたじゃ、これは
自慢にも美談にもならないのよ。根性物語にもならないでしょ。さらに
就職となると「女子も可」って滅多になかった。

 兼田:本当に就職はダメでしたね。大学が不親切で。

 小沢:そうよ、だからそういう点については自分でやるしかない、と
最初から決めていたわ。だから私なんか自分の気のおもむくまま、自
治会活動をやってね、もう朝から晩までせっせとデモをやってたわ。

 兼田:最初から男の中でバリバリやってたんですね。

 小沢:私って五人兄弟で男が四人でしょ。もう幼いときから男の中
ばかりで育ったみたいな感じ。それで親父が心配して女子校に入れ
てくれたんだけど、男っぽいでしょ。レズにもてたわ。

 兼田:え!レズもあったんですか?

 小沢:私は全然関心はなかったけどね、だけど知らぬ間に机の中
の手作りのクッキーが入っていたりとか、マフラーとか手袋が入って
いるんですよ。その頃は親父が死んで赤貧だったからそれどころじゃ
なかったわ。それでも働きながらでも、大学には絶対に行こうと青雲
の志を抱いていたんですよ。

 ★喫茶店でのコミュニケーションは懐かしい

 兼田:私が図書館なんかで勉強していると、「われわれはぁ」なんて
マイクのがなりたてが聞こえて、私なんか迷惑したんだけど、その中
にもしや、小沢さんもいたんですか?

 小沢:いたかもしれないわ。

 兼田:ところで、社会学部にはじょしがくせいがどれくらいいたの?

 小沢:一割もいなかたんじゃない。

 兼田;どんな女子学生だったの。

 小沢:もう共産党の女の子からは娼婦とか魔女みたいに言われて
いたわ。当時としては進んでいて膝までのブーツとか見にしカートを
はいていてね。

 兼田:やるぅ!

 小沢:それで他のセクトの男の子と個人的に仲良くなるのがうまか
ったの。だからそういうところで他の女に子に憎まれていたかもしれ
ないわ。

 兼田::それじゃさぞかし恋愛も経でにやったんじゃないの?

 小沢:どういうわけか、その方向には進まなかったわ。何しろ、大学
四年間、バージンでしょ。

 兼田:あら、そちらは遅れちゃったのね、なぜ?

 小沢:すべてを忘れて自治会に打ち込んでいたからかな。

 兼田:私は英文学研究会というサークルに入っていて、そこで二部
の学生たちとこましゃくれてやっていました。二部だから昼間の学生
と違って教員をやりながら大学に来るとか、色んな人がいるでしょ。
われわれはオトナなのだと、・・・・そういう感じで付き合ってました。
たとえば学生運動に熱中しているような人を、どこかでフンというよう
な、若いなぁという感じで見てました。

 小沢:都会派だね、私はホットだったんだよ。朝から晩まで自治会
に首を突っ込んでたけど、ちょっと時間がるとね、喫茶店なんかに行
って、駄弁るんだけど、そこではどのセクトも呉越同舟だったの。ほら、
靖国神社の方へ曲がる道の場所に、三木鶏郎さんとか、鮎郎さんだ
かのスタジオがあって、その下に小さな喫茶店があったじゃない。

 兼田:うん、あったわね。

 小沢:そこに入り浸りでね、そこのママさんが私達が行くと、コーヒー
いっぱい60円から70円なのにラーメンまで食べさせてくれたり、焼き
芋やお菓子を出してくれたりとかね。コーヒー代の何倍もご馳走してく
れたんです。だから自治会の連中が敵も味方もみんな集まってきて、
もうそういう場があったんですよ。男と女のコミュニケーションもいろい
ろあったわけ。

 兼田:でも、そういう人たちを私は醒めためで見ていたんです。

 小沢:私はまた、そういうふうに醒めためで見ている人のこともよく
分かったのよ。特に、文学部にはそういう人が多かったわね。だけど
法政の文学部なんかに入って文学をやっている、そんな政治のことな
んか関係ない、というフリをしているとか、経済をやってるからどうだと
か、そういう態度には気取るんじゃねえよ、って感じがしてたわ。学生
のフリするなよって。ここは、たかだか法政大学じゃないか、ってね。

 兼田:そこが違うんだな。醒めていながらも学校への熱い思いれは
あったよ。たとえば結婚して気づいたら、カスみたいな亭主になってし
まったとしても、これはこれで片目をつぶって馴れ合うってことじゃない
。それに似た気持ちよね。

 小沢:へーめずらしい。

 兼田。そ〜お?どうせ大学ってのは,いつかは出るわけでしょ。だった
ら自分を騙して、やっぱり学生っぽく生きようってね。つまり、ひとつの
演技よ。

 小沢:そうすると、チャラチャラして流行の先端をいくみたいなカッコし
てよ、「何だ、あの女」と私達が思うような女子学生の中に、あなたはい
つもいたのかな。

 兼田:違うわよ、その頃は、小沢さんたちこそ、尖端のイケ好かない
ヤカラに見えたんじゃないかしら。

 小沢:私は言っているのはね、洋服なんかのことよ。

 兼田:そうですよ。私なんか、スーツ着ていましたもの。それで厚めの
本なんか抱えて、「私大学生よ」って格好していたんです。ちょっと、これ
は変だな、と思いながらちょっと変であることぐらいは仕方ないと。

 小沢:かなり醒めていたんですね。あの頃の文学部の学生ってみんな
そうだったの?

 兼田:いや、私はクラスの子とは全然話が合わなくて仲良くなかったか
ら。

 小沢:あなたは変わり者なのよ。私は、ちょっとした地方の金持ちの女
子学生なんかがチャラチャラしている格好を見ると、ちょっとお前さん、な
んでそればらもっと名の通った女子大でも行かなかったの、と言いたい
くらいだった。みんな、どっちつかずだったのよ。

 兼田:そういう感じはあったわね。

 小沢:遊ぶとか、勉強したいとか、何かはっきりしてくれればいいんだけ
れど、なんか女子学生でござい、なんて格好だけのつけているようなの、
あんなのが多かったわ、女の子にとって法政なんて、なんのカッコにもな
らないじゃない。

   ★学内を女子で占領しよう!

 兼田:要するに、あの頃はまだ大学の神話というものがまだ残っていた
のよ。だから、ともかく、花の東京六大学に行けばカッコがつくと、そういう
女子学生が多かったと思うよ。私は、だいたい世の中には男と女が半数
くらいずついるというのに、女子大に行くというのは気持ち悪いという気分
があったから最初から女子大に行こうなんて気は全然なかった。

 小沢:私は私立の女子大ってあってもいいとは思うの。つまり誰かがお
金を出して。女というものはこういうふうに育てたいと思って、それがいい
と考える女性は、そこへ行けばいいでしょう。でも国立の女子大って分か
らないわ。

 兼田:お茶の水とか奈良女子大とか。

 小沢:女だけを集めてどうするの、って思うわね。ひどくワイセツな感じよ
ね。女だけが集まらないとできない学問なんて、何があるの?それに税金
を使うのっておかしいわ。

 兼田:そういうのは、みんな法政に行くべきね。

 小沢:話が違うけど、余計な付属物を身ぐるみ剥いで裸になったっら、つ
まり男と女が対等になったら、今のところは女が強いんじゃない。

 兼田:そう、日本はそういう意味でかなりステキですよ。

 小沢:生きいいわね。

 兼田:居心地がいい。その分、男が寂しくなっているかもしれないけど。

 小沢:そんなことないですよ。男はだいたい取るものを取って残りを女
にくれるんだから。

  小沢:そうねえ。結局、世の中には強い女もいるし弱い男もいる。それ
で弱い男を強い女が好きになったり、・・・・・・いろいろあって然るべきで、
ああせい、こうせいと決めるべきじゃない。白紙がいいんですよ。法政み
たいにね。

 兼田:親も世間様も期待してくれないから、これは白紙です。

 小沢:白紙で大学を出られるんだから(笑い)

 兼田:白紙で人生を過ごせるって最高よね。女の子が大学に行くなら
もう絶対に法政ですよ。

 小沢;世間様が許してくれるんだから、大学に行って少なくとも4年間は、
好き勝手をやったらいいんです。一人や二人の男くらいは自殺に追い込
むくらいのことをやってごらんって。

 兼田:女が強いという法政大学、というイメージを作りましょうよ。

 小沢:そうだ、たかだた野球部なんかに法政を占領されてたまるかです
よ。

 
 

 

 

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