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zoom RSS ライブハウス「照和」と「無限舎(倉敷)」

<<   作成日時 : 2017/04/08 14:45   >>

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 とうわけで、いきなりの切り出しで事情が説明できてないのだが、ごく
最近、facebookで知り合えて、かなり親しい部類といってよい「友達」の
女性、・・・・・・「ジャズシンガ○○○」という名前で現在はfacebookに登録
されているけど、こんど、倉敷のライブハウス、店名はライブハウス無限
舎でジャンルは「カラオケパブ」とある。そこであるバンドが来るので、そこ
で何曲か彼女も歌うそうで「ぜひ来てください」といわれたという次第。で
も予約は取っておいてくれるわけでないようで、、彼女も「客」でゲスト的に
歌を歌うみたい。予約が必要と聞いて、ややテンションが高くなる私であ
る。ライブハウス的な場所に行った経験がないので、何か億劫というのが
本音に近いが、まあ、倉敷に来られるというのなら、・・・・・・。さらに悩みは
私は聴覚過敏症で普段でも耳栓をやっていることが多いくらい。バンドの
種類にも寄るけど、これも懸念材料。まさか耳栓をして行くわけにもいかな
いし。タバコの煙も苦手だけに、・・・・・。でも「這ってでも行きます」と言った
手前、行く以外にない。

 ところでライブハウスで今となれば歴史的に有名、知名度が高いのは
福岡市にあって数多くのアーチストを排出したライブハウス「照和」である


 福岡市の繁華街、天神に「フォーク喫茶・ヤング照和」が誕生したのは
1970年、昭和45年11月であった。この年、大阪万博が開かれ、高度成長
、日本の栄華の頂点みたいな年であった。

 きっかけは支配人の藤松武氏(当時37歳)が福岡駅前で反戦フォーク
を歌う若者を見て、「フォークをやれば若者が集まってくる」と直感し、す
で似合った一階の喫茶店の地下にライブの施設を作ったことである。そ
の頃、福岡の若者が歌う場所といえば、もっぱら町外れの須崎公園だ
った。その屋外の須崎公園から、寒風吹きすさぶなか、ライブハウスで
歌うことを心から欲する若者たちが大挙押し寄せた。

 その中に福岡教育大学在学中の武田鉄矢がリーダーの「海援隊」の
姿もあった。た。さらに西南学院大在学中の財津和夫も後にチューリッ
プとなるグループを率いて姿を見せた。

 その後、福岡の西新で軽食店を営んでいた当時の支配人、藤松氏
は回顧して

 「チューッリプと海援隊は照和にとっては本当にドル箱でした。すで
で当時から熱心なファンクラブもありました。チューリップはハーモニー
がきれいでした。対して海援隊は独自のトークや才気煥発さでお客さ
んを魅了していました。鉄矢が楽器をひくのはタンバリンくらいしか記
憶にないですね」

 最初は店内にテーブルと椅子を並べていたが、すぐに椅子は足らな
くなって最前列以外は全て長椅子に変えた。その後ろは立ち見となっ
た。全体では100人ほど入れたが、人気バンドの出る土曜、日曜は常に
満員だった。出演料はソロで700円、バンドが1000円、だから四人編成
なら1000円を四等分しなければならない。わずか250円だ。それでも
出演者は「照和」を愛し、熱演、熱唱した。藤松氏は出演者の中から
ライブハウスで使えそうな者をマネージャー役などに雇ったが、武田
鉄矢などはバンド兼マネージャー兼ウェイターの三役をこなした。

 最初にプロの道を掴んだのはチューリップだった。1972年、昭和47
年6月にデビューを飾った。状況直前、照和で行った「旅立ちコンサー
ト」には200人以上のファンがつめかけ、通路まであふれた。追うように
海援隊も同じ年の10月にデビューを飾った。翌1973年、チューリップは
「心の旅」が大ヒット、海援隊は「母に捧げるバラード」だ大ヒットした。

 いつしか「照和」の名前は全国の中高生にも知れ渡り、修学旅行で
訪れるケースも増えた。

 その時代、チューリップ、海援隊が上京した後、後を受け継いだの
が「甲斐よしひろ」、後似、甲斐バンドを率いた。甲斐よしひろは旅行
代理店に一旦は就職したが四ヶ月で退職、1972年から「照和」に出演
していた。甲斐よしひろ19歳のときである。すぐにその実力で人気を獲
得し、照和で知り合った仲間と「甲斐バンド」を結成し、1974年にデビュ
ーを果たした。

 その後も長渕剛や陣内孝則、永井龍雲、シーナアンドロケッツなど
多くのミュージシャンが照和から旅立った。さらに井上陽水も、紛れも
なく照和を通過したミュージシャンであった。照和が開店した時すでに
、「アンドレ・カンドレ」という名前でデビューしていた。最初はサッパリ
売れず、プロモーションで照和に出演するうちに1972年井上陽水と名
前を変えて再デビュー、大ヒットを重ねた。

 徐々に音楽のトレンドはフォークからニューミュージックへと変わっ
た。フォークがコンセプトの照和は1978年、昭和53年に閉店した。し
かし1991年に再開した。今なおここを巣立った数多くのミュージシャ
ん、ビッグネームとなったものも多い。その栄光は今も廃れていない


   福岡教育大の学生時代、照和のステージに立つ武田鉄矢

 
 
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