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zoom RSS 「ニ・ニ六 まぼろしの市街戦」 元巡査・三谷祥介の手記

<<   作成日時 : 2017/04/29 21:00   >>

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大都会に住む東京人は神経質で感じやすい。ちょっと煙が出たくらい
の小火でも黒山の人だかりとなる。この野次馬どもは人間の五体を流れ
ている血のように、、些細な擦り傷でもその箇所に集まってくると私は思っ
ていた。ところが二・ニ六事件、昭和11年に実際に遭遇して、私は東京人
を観る眼がちがってきた。大都会に住む彼らは図太くて,底の知れない心
臓の持ち主だった。


   火を噴いた機関銃

 朝飯の箸をとっていたところへ交番の巡査が伝達票を持ってきた。

 「本庁へ呼び出しだ、全員にきている」

 「なんだろう」

 「知りませんね、笹塚に本庁組がいっぱい住んでいる。早くしてくださ
い」

 私は伝達票に通達の時間を書いて渡した。ちらほら雪が振り始めた。
全員の呼び出しだっったら非常召集の演習だな、と私は思った。早くし
ないと勤務成績に影響する、朝飯はそこそこにして自宅を飛び出した。
バスで四谷見附の陸橋にさしかかるところから大雪になった。女の車掌
が「いつもの路線を臨時変更して虎ノ門に直通、新橋へ出ます」と車内放
放した。

私ら本庁組は日比谷公園に向かい合った丸の内警察へ辿り着いた。入
口の階段脇には正服の巡査がメガホンを右手に持ち、無表情で左右に
動かして「本庁は二階、本庁は二階」と繰り返していた。

 丸の内警察の二階は本庁員で立錐の余地がない。立ち話をしている
中にわけはいると、岡田首相は総理官邸で射殺された。各大臣も殺され
た。天皇側近の重臣たちは一人残らず自邸または別邸で殺られた。護
衛の警察官は殉職した。どれくらい死んだかは

 

 「なんだろう」とたずねている乗客がいた。女車掌は「兵隊さんの演習ら
しいです」と答えている。顔見知りの本庁組が四人ほど乗り合わせた。

 「一雄氏(警視総監の小栗一雄)ははかはかやりおるね。貴族院議員の
勅撰は間違いなしだ。一月の消防出初式に便乗して非常招集の演習だ
。今度は二度目、一将功なり万骨枯れるだ」

 バスが虎ノ門にやってくると、私ら本庁組は飛び降りて、雪の降る往来
を警視庁に駆け出した。

 「待て!警視庁の奴らだな、撃つぞっ!」

 銃剣を持った兵隊が取り囲んだ。途端に機関銃が火を噴いた。私ら本庁
組は棒立ちになって、動けなくなった。空砲ではなくまさに実弾入りの射撃
だった。おのれを取り戻して無我夢中で疾走した。どこをどう駆け抜けたか
は記憶にない。

 私ら本庁組は日比谷公園に向き合ったお堀端の丸の内警察へ辿り着い
た。入り口の階段脇には正服の巡査がメガホンを右手に持ち、無表情で
左右に動かして「本庁は二階、本庁は二階」と繰り返していた。

 丸ノ内警察の二階は本庁職員で立錐の余地もなかった。立ち話の中に
入ってみると、「岡田首相は総理官邸で射殺された。各大臣も殺された。
天皇側近の重臣たちは一人残らず自邸、あるいは別邸で殺された。護衛
の巡査は殉職した。どれくらい死んだか、その人数は明らかでない。警視
庁は叛乱軍に占領された。」

 世界のことならいざしらず、日本国内でこれ以上のニュースがあるだろう
か。

 野戦場のような大混乱

 「警視庁の本部は神田の錦町警察署に移される。本庁員は目立たぬよ
うに、丸ノ内警察署引き上げてくれ」という指令が出た。

 錦町の警察に来てみると、ここは騒然、雑沓、足の踏み場もない大混乱
だった。二階の広い板間の片隅には衝立を置き、小栗警視総監と本間靖
警務部長が正服の上にオーバーコートを着込んで陣取っていた。衝立が
低いので内部は丸見えだった。トイレに行く者。タバコやその他の買い物
に出かけるものがドタバタ階段を上がったり下りたりしている。

 とりあえず火急なことは、警視庁と神田の錦町の警察を電話線で結ぶ
ことであった。直通の電話線は五本しかない。全国から問い合わせの電
話がかかるので急場では間尺に合わない。井上電信係長は部下を督励
して必死の架線工事を行っている。叛乱軍に占領された警視庁には交換
手が三十人ばかり軟禁され、兵隊に銃剣をつきつけられながら作業を続
けているが、キイを持つ交換嬢からは間断なく悲鳴が聞こえているという
情報もある。かと思うと半蔵門前の隼町には警視庁幹部たちが居住して
いる官舎があるが、これも叛乱軍に包囲され、家族は一人残らず捕虜み
たいなありさまだ、という情報も入ってきた。

 「叛乱軍は錦町に移動した警視庁の本部を狙っている。俺達がぶつか
るのは時間の問題だ」と誰構わず大声で話し始めた。にもかかわらず、
緊張の様子は彼らのどこにも見当たらない。警察の二階に閉じ込められ
た人の塊だから群集心理に煽られた虚勢かもしれないが、丸ノ内警察の
二階とでは、同じ本庁の人間でも格段の差があった。

 小栗警視総監以下、警視庁の職員は叛乱軍を向こうに回し、本当に
市街戦をやる意志があるのだろうか、・・・・・私は信じられなかった。そ
レより蜘蛛の子を散らすように恥も外聞もなく四方八方に一目散に逃
亡するような気がしてならなかった。

 昔からの言い伝えで「腹が減っては戦はできぬ」という言い伝えがある
。叛乱軍に警視庁を占領されたので非常用の乾パンを持ち出すことが
出来なかった。窮余の一策、小遣い室の大きい湯沸かし釜で雑炊の煮
込みを始めた。主計係長の神山和市(警部)が、部下の巡査八名ばかり
総掛かりで野菜を切り、豚の細片を投げ込む、野戦場のような光景にな
った。

 出来上がった雑炊はバケツでどんどん運ばれてきた。「人数が多くて
茶碗は買う字に行き渡らない。湯呑みでも使っていくらでも食ってくれ」
というが、バケツにはトタンの柄杓がつっこんである。雑炊の味はともか
く見ただけでうんざりした。私は手が出ない。

 「いよいよおっぱじめたね。警視庁は二万も雁首を揃えているんだ。
叛乱軍に占領されたら黙っていねえや。どこです、ぶつかる場所は。戸
山ヶ原か代々木の練兵場というものがいるが、九段の坂上がいい。警
視庁にとったら地の利がいいよ。俺たちゃ、一歩も引かねえよ。おれの
爺さんなんか明治維新の時、薩摩と長州の田舎侍が徳川の将軍方と
天皇さんのとりっこで、この東京で戦争したのを見物してたんだ。」

 私と佐藤巡査は飯を食い始めた。


 ダルマ大臣の検死

 「君を探していた、すぐ出かけよう。赤坂の高橋是清邸で検死が始ま
っている」

 中尾主任(警部補)と私は雪の泥まみれの道を駆け出した。大雪であっ
た。私自身、東京に出てきてこんあ大雪は見たことがなかった。張り詰
めた気持ちが踊った。私の心には抑えがたい憤りがあった。ほかでもな
い、叛乱軍が高橋是清を殺したということへの憤懣だった。全日本の国
民が「景気」を背負っている高杯是清の「だるま大臣」として、肌に触れ
合うような親しみと尊敬の念を持っているのだ是清は何度も大臣をつと
めたが、このたびは岡田首相の懇願を快く引き受けて大蔵大臣に就任し
た。実に83歳である。

 叛乱軍にどんな理由があろうとも、理由のいかんを聞くのではない、「
なぜ殺したのか」である。日本の国民なら誰でも号泣せざるを得ない。

 降り注ぐ雪は叛乱軍に対する私の怒りを冷やすのには役立ったかも
しれない。

 和田倉門、馬場先門、警視庁などに叛乱軍の検問所があって、銃剣
をもった兵が立っていた。

 「待てい!どこへゆく!」

 「赤坂の高橋是清邸だ。検死記録係だ」

 私は胸を張って弾んだ声で答えた。どの検問所も兵隊は「よし!」と
言った。中には挙手して見送る兵隊もた。

 赤坂表町の高橋是清邸はもとは大名の屋敷だったが、その面影を残す
のは大手門で、鋲止めの大扉は観音開き、左右の潜戸わきに武者窓が
ある。一歩踏めこめば和洋折衷で近代的な普請だ。

 呼び鈴のボタンを押すと潜戸が開いた。中尾主任は「警視庁の記録係
二名」と云って、警察手帳を広げて身分を明らかにした。

 そこに立っていたのは縞の筒袖に股引きをはいた老人だった。崩れる
ように土下座をした。

 「ご苦労様」という声が聞き取れないほどに泣いた(あとで知ったがこの
老人は高橋邸に長く召使として働いていた手塚弥吉という者だった)

 老いてしぼみ、よれよれになったその姿は、土間に縮こまって、老僕の
五体そのものが悲しんでいるようだった。私はその光景を今でも忘れるこ
とが出来ない。

 叛乱軍は表門でなく、裏の木戸を乗り越えて乱入したという。となりは
いつも人のいない能楽堂舞台であった。木の香まだあたらしい奥二階で
高橋是清は殺されたのである。

 検死は半ば終わっていた。

 ダルマ大臣の裸の遺体は無残であった。全身を銃剣やサーベルを仕
込んだ日本刀で、突き刺した傷が無数、背中に一太刀浴びせた傷があ
った。

 「これはひどい」

 中尾主任は目を覆った。

 「あなた方はまだいい。私たちはやっとここまで傷口の処理をしたんで
す。何箇所の傷か、これから調べないと」

 三人の医者の白衣が血で汚れていた。

 私は日本の武士道はどこへいたのか、などと古めかしいことは云わな
い、軍人の精神を問いただすような憂国の士でもない。だがそもそも、こ
レが人間のなし得る行為なのであろうか、その叛乱軍が日本人であると
いう事実は消そうにも消せない、これは屈辱である、恥辱である。

 検死に立ち会ったものの泣くに泣けない心境だった。右の頬を突き破っ
た傷は口の中にスポンジを含ませて拭き取っていた。

 高橋是清ダルマ大臣は肥満型で肌が白い。顎にはほどよく刈り込んだ
真っ白い髭を蓄えている。看護婦が櫛を入れて,翁の能面を大切に扱う
ようなてつうきで、髭の汚れを浄めていた。そうしたことであろうか、その
看護婦が嗚咽した。それを見て私ら五人の男がヒザマづいてダルマ大臣
の以外に合掌した。黙祷しているうちに五人の男の膝の上に涙が落ちた


  首相官邸の四人の殉職者

 赤坂表町の警察は高橋是清邸から五百メートルしか離れていない。私
と中尾主任は表町の警察に引き上げた。署内に混乱はなかった。平常ど
おりの勤務だが、署員は全員出勤し、待機していた。私はここで初めてニ
・ニ六事件の全貌を知った。

 署長室に案内された私と中尾主任は、署長の詳細な情報を記録した。

 「日本には別に軍国という国があって警察権は及ばない。軍国の警察
権は憲兵が支配している。その国のものは君たちも承知のように天皇の
統帥のもとにあり、戦争に勝つ訓練ばかりしている。余念がない。その国
の内部の騒乱で、一般の社会人とは関係がないと叛乱軍は云っている。
相手にはしないが、向かってくれば警察はもとより一般社会人でも容赦は
しない。

 つまり天皇側近の重臣や財閥を背景とした大臣らは国賊で日本に必要
がないばかりか、これほど害毒なものはない。彼らには反省がない。殺す
しか方法がなかった、やむなく決起したというのだよ。赤坂は叛乱軍の拠
点になっている。将校は銃剣を持った兵隊を五人連れて報告に来た。もし
我らを鎮圧しようとして立ち向かうなら、おもいでなさい。我らの人数は左
記のとおりだと堂々と明記してある」

 それによると近衛歩兵第三連隊、歩兵第一及び第三両連隊、野戦砲兵
第七連隊、隊員は下士兵ら1400名、大尉五名、中尉七名、少尉十名。
一等主計一名とかいてあった。

 重大な情報は次々に入ってくる。叛乱軍が惜しげもなく情報を流してい
るかのようだった。その中で叛乱軍のたったひとつの重大なミスは、首相
官邸で、退役歩兵大佐で岡田首相の義弟である松尾伝蔵を、首相と誤認
して射殺したこと。これは叛乱軍はもとより、何人もその事実をまだ知って
はいなかった。事件後いち早くこの事実を掴んでいたのは警視庁だけであ
った。

 岡田啓介首相は海軍大将で一国の宰相となり、後年、天皇の側近者で
重臣となった。岡田啓介の遭難は多くの書物に書かれているが、私がこの
目で見て、この耳で聞いたことはほとんど記録されていない。

 岡田首相の官邸を襲撃したのは歩兵大一連隊の栗原安秀中尉、丹生誠
忠中尉、林八郎少尉らが指揮を取り、26日の午前三時、非常呼集で三百
名の機関銃部隊を集め、突破したのである。

 首相官邸は包囲され、約二百名の兵隊が官邸内になだれ込んだという
。百名は別に入口の門、塀の外を固めて機関銃を据えている。このとき
岡田首相はただならぬ物音を察知して奇襲と見抜いた。さすがに職業軍人
の頂点に立った人物だ。寝床から這い出すと、そこにあり合わせた女物の
着物を身にまとい、日本魔の一番奥の押し入れに身を隠した。

 「そんなに俺の命がほしいか」と立ち上がったのは岡田首相の義弟で
退役陸軍大佐の松尾伝蔵だった。秘書の松尾としりながら、官邸警護の
巡査が松尾を取り囲んだ。

 「巡査はどけ!我々は国賊の岡田啓介を殺しに来たんだ」

 「僕ら四人を撃て、四人だけを殺して引き上げろ」

 と云ったのが最後で、四人の巡査は射殺された。松尾伝蔵は四人が盾
となろうと同じことでほぼ同時刻に射殺された。


   特別警備隊の非常ベル

 殉職した巡査は総理官邸の四人に加え、前の内大臣、牧野伸顕の護衛、
皆川義助巡査を加えた五人。もとより巡査は死を覚悟しての大官護衛の勤
務である。職に殉じるのは当然だが、輿論は、・・・・東京人はどう受け取った
家である。彼らは時と場合によっては「おい、こら」とおいこら警察から粗雑な
言葉を投げかけられることはあっても基本的には警視庁を信頼していた。
生命と財産を守ってくれる唯一無二の保護者だと信じている。警視庁の二万
の職員は、自分たちのためだったら、いつ何時でも職に殉じる人たちだと思
い込んで疑わなかった。

 警視庁にも非常時に備えて特別警護隊が編成されている。警備隊の訓練
は言語に絶する厳しいものであった。六尺の樫の棒を持ってそれを使いこな
す「棒術」から始まって、日本古来の槍、薙刀、銃剣の代用はもとより、数人
が棒を立てに組み、合わせると梯子に成る。手に手を持ってつなげば長蛇
になり、三角,四角、円を作るも思う存分闊達自在、大部隊が棒を持って地べ
たに伏せれば、棒に竹を結えて竹藪を作り、小高い所ならば小松林や杉の
木の森や丘にすることなど自由にやってのけた。

 いずれにしても非常時の第一線に立つ部隊である。一部のものは「棒組」
といい、またあるものは織田信長が足軽を手足のように作った戦法だ。今
どき「棒組」が役に立つのか。と批判する人はいたが、しかし「棒組」は強い
。警視庁の特別警備隊にとって叛乱軍兵士の千人や二千人など問題では
ないと思いこんでいた。だから東京人は叛乱軍の報に接しても避難しよう
とはしなかった。私の知る限り、避難したのは藪蕎麦の嬶将軍一人である。
東京人は胡座を組んで、警視庁と叛乱軍の戦争待ちの状態、観戦しようと
の魂胆だった。

 二月二十六日の深夜、首相官邸から警視庁の特別警備隊に緊急の非
常ベルが鳴った。受話器を手に取ると「兵隊が」といってコトンと音がした
。電話の主は返事を待つまでもなく受話器から手を放したのである。間髪
を入れず直ちに出勤、当直の小隊長は野老山(ところやま)警部補、部下
の巡査二十名は柿色の輸送車に飛び乗って出勤した。通用門を出て右
折すると、小銃の発射音がした。「実弾の音のようだ」緊迫感いっぱいで首
相官邸へ。

 野老山小隊長はその時の様子を以下のように記録している。

 「暗闇の中に官邸はひっそり。門の入り口の警備所内は白い煙で見え
ないくらい。火鉢の中に湯が溢れたんだ。官邸の中を透かしてみると、五
十人ほどの兵士がうごめいている。門の柵の中へニ、三歩入った。『何か
あったんですか』と声をかけても返事はない。暗くてはっきりしないが将校
のようなのが近づいてきた。『どうしたんですか、我々は警視庁の警備隊
です』というと、『なんでもない演習だ、君たち警察は帰れ』『中へ入ります
よ』、『今はダメだ』ガチャガチャ音がして軽機関銃と重機関銃が道路に持
ち出された。銃口が向けられた。二十名の小隊員は輸送車にいた。隊員
は殺気立っている。各自は銃弾七発の拳銃を持って身構えている。私は
この場合、岡田首相は殺されても、躊躇なく閉鎖された門を乗り越えて、
官邸内に飛び込んでいく、たとえ小隊が全滅しようとそれが小隊の職務
だ、あとに続くものを信じよう、と思った。が、やめたのだ。一瞬を争う時間
の利点はすでに戦術的に過ぎている。首相官邸はひっそりしていて、もは
や事件は終わっていたのだ」

 野老山氏は多くを語らない。しかしポイントは掴んでいる。もし二十名の
小隊員が突撃の判断で全滅していたら、警視庁二万の者は腰抜けばか
りではない。おそらく警官隊の死骸の山を築いたであろう。東京人は警官
隊の悲壮な死を見て勇敢を称えたのか、悲しんだのか、バカにしたのか
、つまらない詮索である。


 





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