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zoom RSS 国家神道原理主義への回帰は既定、既成事実か?

<<   作成日時 : 2017/04/03 20:07   >>

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  日本会議、自民党は現在一心同体であり、安倍晋三とは日本会議が
「戦前回帰。すなわち、明治創宗の国家神道のもとにおける国家像への
回帰」、要は、国家神道原理主義の現実化のための「改憲」、という目的
のために送り込んだ首相、デコ人形である。だから安倍晋三が「改憲」を
引っ込めることは100%あり得ない。すべての施策は改憲のため、支持を
広げるための副次的手段である。公務員には人事院勧告完全実施の連
続という大盤振る舞いも、改憲のために公務員の支持を獲得するためで
ある。その経済政策、まあ、アベノミクスという俗称される民間サラリーマ
ンの年金資金を流用しての株価政策、一時的に人気を取って支持を広げ
、改憲につなごうとしているのである。

その結果、改憲はどうなるか、その改憲は日本会議、自民党の反立憲主
主義に貫かれる改憲だ。国家が権力を暴力的に行使し、国民を黙らせ、思
うままに支配する道具が憲法であり、イギリスに見られる(イギリスに通常
の成分法としての憲法はないが)王権との闘争の歴史から、民衆の権利を
積みあげるという国対民衆の権利獲得闘争、という憲法が民衆の権利を守
るために国に制約を加えるものという立憲主義への反対的立場である。
とどのつまり、日本会議、自民党は、日本はヨーロッパのイギリス、フラン
スなどとは根本的に異なる、中国などと同じ、東洋の皇帝専制社会である
、と言っているに過ぎないわけであり、その先にあるものは、陳腐なようだ
が、ヘーゲルが喝破したように「古来東洋で自由であり得たのは皇帝一人
だけであった」という徹底した抑圧専制政治の国家でしかない。

 憲法フォーラムで日本会議の櫻井よし子がたびたび口にする

 「国対国民という発想は日本に似合わない」

 という反立憲主義は国民の権利抑圧、国民支配の道具としての憲法を
強力に主張するものである。

 端的に云って日本会議の論客、自民党が最も抵抗する政治思想、社会
思想はジョン・ロックに代表される社会契約説である。近代立憲主義を支
えるこの社会契約の考えは、櫻井よし子や、長谷川三千子、八木秀次らは
「日本に合わない」と必死でいうのである。では何かといえば、国家神道原
理主義による、論議以前の、神話に名を借りた独裁思想である。およそ
国際常識、先進国の国際常識で許容される考えではあり得ない。だが
「他の面で貢献するから」などと、国家神道原理主義許容の宣伝マンとし
て、また世界を飛び回るのが日本会議の送り出している傀儡の安倍晋三
なのである。

 国家神道とは何かとは、議論のあることであるが、本質は本来的な伝統
を著しく歪曲し、その意味では伝統を換骨奪胎しつつも全く異質な新たな
アイテムを数限りなく創案し、宗教、文明以前の宗教であった神道とは全く
異質な近代ファシズム国家体制となった、それまで歴史的にも存在し得な
かった極めて特異な宗教を装い、公的には非宗教としたファシズム形態で
ある。

 明治以降、戦前の国家神道の最大の舞台はほかならぬ、学校であった
。その中での国家神道アイテムの代表は教育勅語であり、紀元節、天長
節などの祝祭日、君が代などであった。

 教師は生徒に向かって、「日本は欽定憲法といって天皇陛下が国民に
憲法を与えてくださった、イギリスみたいに国民が血を流して憲法を作ら
なくてもいいという幸福な国だ」

 その憲法が国民の権利抑圧に徹した国の国民支配の道具としたら、し
かしどうであろうか。現実はまさにそれであった。

 日本会議の櫻井よし子などがいう反立憲主義は戦前、学校で教師が
生徒に散々、語った国家神道アイテムそのものである。

 天照大神を皇祖、そのひ孫の神武天皇から万世一系の天皇が連綿
と日本を支配し、統治し、さらの国民は天皇陛下の赤子として家族的な
関係にあり、国と国民との対立などとんでもない、・・・・・・教育勅語にお
いて万世一系の天皇崇拝と儒教的、仏教的な祖先崇拝が結合し、家段
階の「孝」が村段階から国段階への「忠」の概念に統一化された。親へ
の孝と祖先崇拝は、天皇、神を敬う、崇拝と内面において連続する。
神話の国家原理化、祖先崇拝と家族内の孝の観念が教育勅語を通じ
て渾然一体化する、これこそ明治創宗の近代ファシズム形態としての
国家神道である。それに常に回帰しようとする、国家神道原理主義で
ある。

 ついには家族制度と天皇への崇拝が一体化した。学校教育、祝祭日
のシステムが現実の最大の「国家神道」の広宣の場となって軍国日本
の原動力となった。

 ここで戦後すぐに開始された戦前回帰、すなわち明治の近代天皇制・
国家神道ファシズム回帰の運動は,ちょうどイスラム原理主義と極めて
類似している、イスラム、イラン革命のように近代化へ棹さす逆流の運動
、21世紀にもなって反立憲主義、基本的人権反対、国民主権反対を打
ちだす時代に逆行の、原理主義絶対の思想だからである。もちろん、国
家神道の考えは明治時代に創案されたものであり、決して日本古来の
伝統ではない、ことが本質的である。イスラム原理主義が決してイスラム
本来の伝統を示すものではなく、中途からの変異した特異的な形態、内
容を絶対化するという思考様式、これは日蓮宗において日蓮至上主義
という中途で変異した原理主義的な思想を絶対化し、狂信化し、それが
さらに永続化するという思考パターン、存在のパターンを示すものであり、
国家神道、スラム原理主義、日蓮正宗には共通点があるということで
ある。途中から変異した形態、内容を古来のものと絶対化して近代から
現代になろうと、それに回帰する、いわば人間の病と称すべきだ。

 この非合理的な主張である日本会議、自民党などによる国家神道
原理主義、それへの回帰のための「改憲」、「改憲の手始め」としての
「緊急事態条項新設」、・・・・・ヴァイマール憲法に規定された非常事態
条項を利用されてナチスにファシズム化の極地に至った歴史的にいわく
つきのこの条項を、憲法に付加しようというのであるから何ともファシズ
ムへの道程として象徴的である。

 日蓮正宗という狂信原理主義のバックボーンのある公明党が改憲
に加担する、というのは不思議でもないが、では国家神道原理主義の
ための改憲はもはや既定、既成事実化といえば、ほぼイエスに近いと
言わざるを得ない状況がある。

 ★際限ない、繰り返される保守的心情に浸っての惰性的投票行動

 現実の問題として、安倍内閣への支持率は至って高い。50%の支持
率であれば小選挙区制度のもとで自民党は今後も勝ち続けるだけで
ある。日本のような保守的な政治風土では、また戦前の右翼的政治勢
力が戦後もそのまま残っている国では小選挙区制は極めて高い可能
性としてファシズムに至る。国家神道原理主義がここにおいて日の目
を見るのである。

 では安倍政権と自民党、日本会議の一体化、公明党、維新の協力
のもと、もはや戦前回帰、すなわち国家神道原理主義への回帰は既
定、既成の事実かと言われれば、まさに逃れられない運命である。も
はや日本は国家神道原理主義、反立憲主義のファシズムのもとにあ
ると言って何の過言でもない。

 イランがイスラム原理主義的な国家体制を捨てる可能性がないのと
同じく、日本も自民党と日本会議の一体化、自民党の晩年政権党、さ
らに公明党の原理主義への協力により、国家神道原理主義はながく
すたれることはないであろう。

 



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