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zoom RSS 高齢になったら自分の人生との対決、自分に逢えば自分を殺せ

<<   作成日時 : 2017/03/31 13:15   >>

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 もちろん、人によりけりで十分な退職金、年金をもらって悠々自適、これが
望んでいた人生と、充実感と満足感に浸れる方、そのような人は多いとは
思うが、・・・・・私の場合、そのような余裕はないのは当然としても、お金な
ドは最低限あればいい、苦にはならない。つまるところ、自分の人生がいっ
たい何であったか、・・・・・切羽詰まった自分の人生との対決である。

 人はそれぞれ、他の誰でもない、自分自身の人生を一度きりしか生きられ
ない。誰にとっても生きることは容易ではない。その全く容易でない一度きり
の人生に、・・・・はして意味があったのか、・・・という根源的な思いにとらわ
れるのが還暦過ぎて、65歳過ぎてのふりかかる運命である。

 もちろんさらに残された人生はある,・・・・・あるには違いないにせよ、もは
や時間的には長いとも言えない、それまでの人生に比べて。とはいえ、残り
の人生が短いということは明らかに気が楽になる要素である。若い頃は可
能性は確かにあるが、とにかくプレッシャである。65歳も過ぎようというなら
、そのような生きること自体のプレッシャは減殺される。お金だった残りの人
生は取り立てて長くはない(はずだから)金がなくても節約で乗り切れるだろ
う。楽になる部分は間違いなくあるが、・・・・・それだけで済まないのが高齢
期である。

 永遠に一回きりの人生の意味を問う、自らに問われるのが高齢期である
。それぞれの人間は他の誰でもない、自分ひとりの独自の人生しかもち得
ない。さて、私自身はと思い返せば、悪夢にうなされるような苦渋の限りで
ある。その苦渋を全て集めたら宇宙の全質量より重くなりそう、・・・・・・でも
、ちょっとおかしい気もする。たかが無為無能な一人の人間にここまでの
苦渋、苦しみが襲いかかるという人生の持つ意味である。

 仏に逢うて仏を殺せ、とは有名な言葉である。そのほんとうの意味は私
などには理解できない。理解も何も出来ないにせよ。そこに秘められた真
の意味は全ては虚無であり、無意味であり、それらの無価値さに気づいて
初めて自分を見いだせる。

 これを転じて、

 自分に逢えば自分を殺せ、・・・・・

 この言葉はどうであろうか。

 自分との対決なくして自分の人生はない、巧拙多様で、人生いろいろで
あるが、全てはこの点に帰着する。人生は一度きり、でもあまりに苦渋が
多く、あまりに無意味である、人生は説明がつかず、自分という存在もなお
さら説明がつかない。一度、全ては無意味、無価値であったと悟る以外に
自分というものはあり得ない。

 多くの哲学者にしろ、文学者にしろ、もっともらしく人生を論じているが、
それらの者たちも全て空しく消え去ってい。全の思惟も無価値、無意味で
あったと証明しているようなものだ。参考にしべき思想もない、救いはそこ
には見つけ出せない。

 仏に逢えば仏を殺せ

 仏は救いに見えて救いではない

 自分に逢えば自分を殺せ

 自分に何か価値、その人生に生きた意味があるなどと思うな、

 である。

 安穏としてどうして高齢期が生きられる道理があるだろうか。どこまでも
自分との対決である。


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