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zoom RSS 戦後の金日成が金日成ではあり得ないことは猿でも分かる

<<   作成日時 : 2017/03/27 22:56   >>

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 もう十分論じられていることだが、戦後、平壌に姿を表した「金日成」に
多くの人は当惑せざるを得なかった。せいぜい30代半ばのその若憎が
抗日パルチザンの伝説的英雄の「金日成」とは思えない、、あり得ないと
と察したからである。年配の人は「こいつはニセ者だ」と即座に確信した。
善意に解釈すれば「金日成」と同姓同名に過ぎなかった、だがもちろん
伝説の英雄「金日成」と自称しているのである。明治以降の日本が国家
支配の正当性を記紀に基づく天皇の万世一系に求めたのに対し、北朝
鮮は金日成がその後の独裁王朝体制を敷いた正統性を長く抗日パルチ
ザンの勇士として独立闘争を導いたという「金日成」の偉大な業績に求め
ている。それが猿にも分かる虚偽であればどうなるか、である。

 ただこの戦後、祖国に姿を現した自称「金日成」という北の宣伝が日本
の歴史家、歴史書にまで誤りを植え付けていることだ。その筆頭が和田
春樹なのだから始末が悪い。ウィキペディアの「金日成」も偽りの北によ
る「公式伝記」の引き写しである。それにしても長年の抗日遊撃戦(ゲリラ
戦)で全く消耗したとは思いにくい、小太りを超えてまるまると太った運動
不足の若造が、「われこそは、英雄の金日成」と何食わぬ顔で咆哮した
のだから、あきれた話である。この戦後の自称「金日成」は明らかに栄養
は行き届いていた。

 といって戦後、人前に姿を晒した自称「金日成」がいかに伝説の金日成
解釈しようと説明がつかないことは明白であり、この「金日成」詐称が「出
」の隠蔽、絶対的に伝説の金日成と信じないものはいの一番に粛清とい
う「うしろめたさ」から来る暴虐、殺戮の血に汚された北朝鮮の「金王朝」
の歴史のその根本的要因として存在する。この種の出自が国家支配の
正統性のイデオローグとなると戦前の国家神道の日本の万世一系への
絶対的帰依!が要求されたのと同じことであり、権力を凶暴化させる要
因となるのである。

 伝説上の抗日の英雄、金日成は実はよくわからない。遊撃部隊(ゲリ
ら部隊)が極めて長期に渡り、「金日成部隊」と名乗っており、本当にどこ
にその金日成はいるのやら、資料も十分でなく、これが戦後の自称「金
日成」のつけ目にせよ、まず年齢の不自然さ、「若いレベルの金日成」想
定でも考えられないので、荒唐無稽著いうことである。

 その荒唐無稽が戦後、北朝鮮の国家の支配の正当性となっているか
ら、いかようにも捏造し、それで日本の歴史家まで毒されているという情
けない状況が続いている。子供でもわかることである。

 入手しやすい本として李命英著の「金日成は四人いた」は実に粘り強
く証言を集め、調査を行い、真実に迫ろうとしている。戦後の姿を現した
自称「金日成」を見て失望し、おまけにその自称「金日成」が独裁の暴虐
の繰り返しに絶望した李命英は・・・・・・・

  『抗日闘争の英雄、勇将のキム・イルソン将軍とは結局、日本帝国
主義の圧政によって鬱積した亡国の民が、自らの心を慰めるために造
りだした幻の人物、架空の人物、英雄待望が生み出したフィクションで
しかなかったのか』

 と慨嘆した。

 李命英は1960年代末から70年代初期にかけて徹底した聞き取り調査
を行い、原初的な「キム・イルソン」伝説の実像を探ったという。

 さらに戦後書かれた金日成についての書物を渉猟した。

 最も根本的な問題として、抗日パルチザンの英雄としての金日成は
実在したのかであるが、・・・・・

 ● 李北著 『金日成偽造史』 (1950年)これによると、金日成は陸軍
士官学校の卒業、祖国の民族の独立のために勇敢に戦うが1922年に
満洲で凍死した。

 ● 金昌順著 『歴史の証人』(1956年) 満洲において民族主義抗日
団体で活躍した人の話では、抗日運動団体の一つを指揮した神出鬼
没の軍事幹部。正体を隠すため部下たちを互いに「金日成」と呼びあっ
た。その死の間際、後継に「金陽寧」という人物を指名し、「金日成」と
名乗らせた。この二代目が日本の陸軍士官学校の出身で、抗日闘争
のゲリラ戦を展開したが、1932年秋、関東軍による「金日成討伐作戦」
によって激しい戦いの後、自決した。その後の「金日成」はこの両名へ
の便乗である。

 ● 『北韓総監』の中の韓載徳の文章、・・・・金日成は旧韓国軍に
の参領の出身。1907年の日本による韓国軍解散に憤激し、満洲や
ロシア領に亡命、どこを拠点に独立運動を続けたが、1930年代、満
州の荒野で死亡。

 李命英は日本人当時の関係者にも証言を求めている。金日成は
治安の悪い朝鮮北部のガンのような存在と思われていたという証
言もある。たしかに金日成は存在したと確信を持てたという。

 ★結論として一人目の金日成は金一成であり、その正体は金昌希
であるとされている。

 キムイルソンの表記は「金日成」も「金一成」も同じである。本名は
金昌希である。1888年ころ、金斗天の次男として生まれている。

 1907年の韓国軍の強制解散に憤激し、義兵を立ち上げた。全国
各地で抗日パルチザン闘争を行い、19歳位で義兵将となった。最初
は出身地に近い五峯山に拠ってゲリラ戦を展開、金一成とこの頃
から名乗り始めた。

 金一成はその後、日本の警察に追われて拠点を北部の白頭山
に移した。1919年の三・一運動の盛り上がりを背景に武装闘争を
さらに強化、ヒットエンドランのゲリラ戦を繰り返し、祖国独立を夢
みる多くの人々に「キムイルソン将軍」の名を知らしめた。1922年、
日本の警察に捕まったが脱出に成功、さらに勇名を轟かせた。正
体は知られることなく,キム・イルソン伝説のみ残った。1920年代の
後半に没したと推測される。

 ★二人目の金日成は日本の陸士出身

 陸軍士官学校第23期(1911年)卒業の金光端であるという。

 日本陸軍時代の金光端

 
画像


 金フ天、あるいは金敬天という抗日闘士、しかも日本の陸士の
出身の金フ天(キムギョテン)と言いう名前が資料にたびたび出て
くる、「日本軍陸軍中尉であったが不逞団の首領となった金光端
という表現が出てくる。これが「金日成」とは表現されてもいないが、
金光端を知る多くの人の間では金日成と信じられていたという。
多くの証言を得ている。

 最初のキム・イルソン将軍であった金一成(金昌希)は白頭山を
拠点として活動し、1920年代前半に消息を絶った、日本の陸士卒
のキム・イルソン将軍としてソ連領から武装闘争を指揮した金日成
(金光端)は1925年に満洲に移動し、消息を絶っている。

 ★1930年代以降

 1930年代以降、再び独立闘争は盛り上がったがここに二人の
キム・イルソンの姿はなかった。生きていれば当然、抗日の勇士
として表舞台に登場して然るべき人物だったが、ともに1920年代
後半に満洲で没したと考えられる。

 戦後のニセ金日成はキム・イルソン伝説を巧みに自己の手柄と
して登用して独裁権力を築いたが、しょせん、一人目、二人目の
キム・イルソンの業績は盗めなかった。年齢が違いすぎるからであ
る。金昌希と金光端はともに1887年か1888年の生まれである。もし
あの自称にせ金日成が戦後、平常に姿を現したにせよ、30代半ば
という年齢ではどうしようもない。

 ★ニセ金日成が盗んだのは「3人目のキム・イルソン」伝説、ある
いは四人目のキム・イルソン伝説であった。このチンピラ共産主義者
の金聖柱は金日成を自称し、全く経歴をでっちあげ、抗日の偉大な
闘士を詐称し、自らを完全無欠の指導者としてそのごの粛清、殺戮
、暗殺、拉致、テロ行為という悪の帝国に独裁権力を築いたのである。

 ▲三人目のキム・イルソンは1935年に出現

 3人目の金日成の本名は金成柱、モスクワの共産大学を出て、満洲
事変が起きた頃、ソ連から満洲にやってきたという。戦後の偽金日成と
はまた年齢が10歳以上年長である。ニセ金日成は普天堡の襲撃を自
らの手柄と捏造しているがまったくの荒唐無稽である。

 1937年11月、3人目金日成死亡

 1937年11月13日、通化省の高地の山中で部下たちと食事休憩の
最中、満州軍歩兵第七団の包囲攻撃で射殺されている、

 金成柱がなぜ金光端と同じ金日成なる名称を用いたか?抗日の
角目運動を行うとしても力量は不足していた。日満軍の攻勢に追い
つめられた東北抗日軍の第六師長、金光端はすでに1919年、ソ連
領内での独立軍指揮から金日成という名前を用いていた。ここに
金成柱が所属していた可能性は十分ある。

 ★ニセの金日成と知る者を粛清して圧政と虐殺、テロ、拉致の最悪
国家を作った金聖柱

金聖柱(戦後の金日成)の悪の構図

 ともかく伝説的な抗日パルチザン闘士としての金日成の候補は四人
あり得るとの綿密な調査によって類推しているが、では戦後現れた
運動不足の金日成はどういう人間であったのか、戦前のその実態は
どうであったのか、である。それは戦後の北朝鮮の国家的非行がすで
に金聖柱の中に露見してるといえるものである。

 同書の引用的な内容となってしまうが、・・・・・・

 戦後の金日成は本名を金聖柱といい、1912年、平安道大同郡古平
面南里の生まれである。小学3年から5年のはじめ(1923〜1925)まで
をこの地の彰徳小学校に通った。その時のクラスメートの趙義俊氏は
こう語っている。

 『私が小3の時、金聖柱は小4でした。当時は3年と4年が同じ教室で
勉強していました。この地の訛でソンジュをソンドウと言っていました。』

 中略

 ★指図されるままの強盗行為

 金聖柱が、李鍾洛の指図でその懐徳県五家子に初めて現れたのは、
1929年秋のことであった。五家子には三成小学校という学校があり、
そこで教師をしていた高而虚は筋金入りの民族主義者だったので、李
鍾洛の一味とはことごとく意見が対立した。高而虚は,黄海道の人であり、
思う所あって1926年に渡満、五家子で教鞭をとりながら正義府に味方し
ていた。1929年4月、国民府ができて、同年12月に朝鮮革命党を発足さ
せるに際して、彼はその創立宣言や綱領、政策などを起草していた。

 さて、五家子に現れた金聖柱はこの高而虚を、李鍾洛の指図どおりに
A級反動分子と決めつけて、その追い出しにかかった。李鍾洛の部下の
三人とともに金聖柱が吉黒農民運動の組織づくりのためにその地方一
帯を往来したとき、いつも武装していたという。」そのような武力的脅威が
あったためにその地方の朝鮮人たちは、否応なしに李鍾洛部隊の要求
に従った。

 その手下の中でも、その頃17歳になったばかりの金聖柱はとりわけ凶
暴で、手のつけられない乱暴者だった。金聖中は李の指図どおり高而虚
を脅迫し、国民府と朝鮮革命党は反動団体であるから、そんなものと手
を切って李の吉黒農民同盟に加入しろと脅した。

 もちろんゴロツキ同然の17歳の金聖柱などには、共産主義に奉じたと
いっても、思想性など微塵もなかった。李の指図にしても農民からの徴
税機関としての吉黒農民同盟の拡大を図りたかっただけである。

 このとき高而虚は金聖柱を諭した。

 「今は皆が団結し、国を取り戻すときではないのか。君たちのいう階級
革命だって、国あってのもんだろう。国を失って何が階級革命だ。主義、
主張が違うからといって敵対ばかりしていると、革命勢力を分裂させる
さけだろ。我々の敵は日帝とその手先なのに、君たちは戦おうともせず
、同法の革命勢力内に敵を作ろうとしているではないか。利敵行為だ」

 だが金聖柱は聞く耳など全くもってはいなかった。ただただ高而虚を
反動分子と決めつけて、自分たちに同調して学校で社会主義教育を行
わないと処断されると脅すばかりだった。高而虚は身に危険を感じ、19
29年の初秋にひそかに五家子を脱出した。その後、高は南満州に渡り
、朝鮮革命軍を率いて果敢に戦ったが、1936年12月、日満軍警に捕え
られ、転向を拒絶したため1937年2月に銃殺刑に処せられた。

 北朝鮮の「ニセ金日成伝」では、この部分を「三成学校の教員を進歩
的思想の持ち主に入れ替えたと書いており、高而虚については、金聖
柱が「その白色テロ思想を痛烈に批判した」などとある。とんだお笑い
草である。

 だが金聖柱の暴力団まがいの行為は、これはほんの序の口でしか
なかった。

 ★農民を撲殺、絞殺

 金聖柱は、国民府の南満学院粛清に追われて再び李鍾洛のもとに
戻り、五家子で李善一の家に二月ほど滞在し、引き続き、近隣一帯の
朝鮮人集落を彷徨っていた。そころ、1930年の11月ころ、金聖柱は女性
問題を引き起こし、村を騒がせた。

  金聖柱と同じ部隊に文時宣という男がいた。その銘の文玉珠(当時
17歳位)を金聖柱がたぶらかして、情痴関係を結んだ。男女間の進歩
的!思想を実践したかのようであった。これが金聖柱18歳のときである。

 男女間の交際は原則許されなかった時代であり、村は大騒ぎになった
。だが相手が武器も手にした荒っぽさでは類を見ない金聖柱だけに、文
一族はどうすることも出来なかった。

この点について北朝鮮は「金聖柱は五家子にいたときから、婦女会を新
思想で改編して女性解放運動を指導し、そのため女性の文化水準も高ま
って、女性たちから大変尊敬された」

 なんとも、ものはいいようである。

 五家子に滞在した金聖柱は、農作業の手伝いもしたようだが、同時に
その凶暴な性格は治まる気配はなく、ますます残忍となっていった。つい
には一連の殺傷事件さえ惹き起こしたのである。

 五家子から五里ほど離れた大楡樹という所に、鄭某という朝鮮人農民
が住んでいた。多分、李鍾洛の作った吉黒農民同盟に税金を収めなかっ
たためであろう、金聖柱はこの鄭某を反動分子呼ばわりし、ある日、仲間
の隊員と三人で家に押し入って鄭某を捕らえて、五家子まで拘引する間
に撲殺してしまった。また李善一氏は、金聖柱が中国人二人を反動分子
と決めつけて、叩き殺した場面を目撃しているという。

 この一連の殺人事件で隊員の仲間は捕まり、懲役刑にふくしたが、金
聖柱はこのときもまんまと逃げおおせた。逃げることにかけては天才的な
面があったようだ。

 

 

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