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zoom RSS 創価教育学会への宗教弾圧事件と治安維持法

<<   作成日時 : 2017/03/27 00:00   >>

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  これもあまりに有名な戦前の宗教弾圧事件で、いまさら触れる必要も
あまりないかもしれないが、「共謀罪」で自民党と連立の公明党が賛成の
態度と聞いては書かざるを得ない。

 明治以降の宗教弾圧は国家神道が超宗教として事実上の国教となり、
国家神道に基づく祭政一致という、およそ近代国家とは思えない国家原
理を採用してから即座に宗教弾圧は始まった。国家が100%主導ではな
いにせよ、廃仏毀釈という仏教への徹底した弾圧政策で明治は始まった
。それ以後、明治期において神社は完全に国家管理となると同時に、仏
教、教派神道などは国家神道の許容範囲内での宗教活動のみとなって
天皇への忠誠と国家神道の教義の受容が存立の条件とされた。このよう
な状況下で天理教への警察の弾圧など、数々の宗教弾圧が頻発した。

 ところが1925年、大正14年、「国体の変革」を目的とすることを主要な
ターゲットとする、はじめて「国体」なる言葉が法律に明記されての,この
明治以降、戦前を最も特徴づける弾圧法規は1928年、「緊急勅令」で
制定当時の最高刑が懲役十年であったのに対し、「死刑又は無期懲役
」となり、治安維持法は世界史にもまれに見る「死の刑法」となった。

 1925年、大正14年制定の最初の治安維持法は全七か条の比較的、簡
素な法律の条文であった。

 第一条: 国体を変革し又は私有財産制度を否認することを目的とし
て結社を組織し又は情を知りて之に加入したる者は十年以下の懲役又
は禁錮に処す

 前項の未遂罪は之を罰す

 しかし1928年、昭和3年6月、「緊急勅令」で治安維持法は死の弾圧法
規となった。

 第一条は何よりも「国体変革」にその重点が置かれるに至った。

 第一条:国体を変革することを目的として結社を組織したる者又は
結社の役員其の他指導者たる任務に従事したる者は死刑又は無期
若は五年以上の懲役若は禁錮に処し情を知りて結社に加入したる者
又は結社の目的を遂行の為にする行為を為したる者は二年以上の有
期の懲役又は禁錮に処す

 なお後段は私有財産制度の否認について規定され、これは十年以下
の懲役又は禁錮という最高系である。明らかに「国体の変革」に重点が
置かれたわけである。

 ★「国体」がここから暴走し始めた。すなわち記紀の記述を絶対化し、
天照大神、神武天皇の子孫で万世一系の天皇が日本を統治する、と
いう、「それがどうした」と言いたくもなる荒唐無稽な狂信だが、これが
近代天皇制というファシズムに容易に転化したことは事実である・

 諸宗教は当然、独自の教義を持つ。まして教派神道は独自の神話体
系を持つが、これが官製の国家神道の記紀の絶対化と異なるのも当然
である。異質な神話の存在自体を不敬にして「国体の変革」、つまり国体
への絶対的信奉ではないということで、数多くの宗教が特高により、片っ
端から弾圧の嵐に晒されたのである。

 その中に日蓮正宗の在家信仰の「創価教育学会」への弾圧がある。こ
れにより牧口常三郎は獄死するに至った。

 ★創価教育学会 宗教弾圧事件

 創価学会という何か宗教団体らしくない名前だと思われるかもしれない
が、実際、その前身は創価教育学会という初等教育の研究とその実践の
団体であった。1930年(昭和5年)、牧口常三郎と戸田城聖によって設立さ
れたものである。

  
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 初期は教員であった牧口常三郎の教育研究が主眼だったが、いつの間
にか、牧口はその教育の理念の真実が日蓮正宗にある、という信念を持
つに至った。考えてみれば、これこそ一番不思議な話であり、日蓮正宗の
どこにいったい近代の教育の根本に資する内容があるのやら、日蓮至上
主義という日蓮正宗が牧口の強固な思い込みの精神性に合致する部分
があったからかもしれない。それにしても説明は今もってついているとは
言い難い。それは門外漢が感じる素朴な疑問であろう。

 日中戦争の頃、創価教育学会は日蓮正宗系の新宗教団体となり、その
教義に従い、活発に折伏を行なった。創価教育学会は日蓮正宗の単に
在家団体というより、江戸時代中期に体系化された日蓮正宗の教義と牧
口の独自の価値観に基づく哲学との融合である。

 日本は戦争に狂奔し、対米戦争に向かおうとする時期、創価教育学会
は東京近辺、名古屋、九州地区で教員や中小企業経営者、家庭の主婦
、サラリーマンなど、会員数が1500人を超える状態であった。

 政府は戦争にすべてを向けるため宗教団体についても、「宗教団体法」
を制定し、宗教を戦争目的のために統制強化に乗り出した。日蓮正宗に
対しては日蓮宗との統合を命じた。

 日蓮正宗はその教学では一致派とされる日蓮宗と対立する勝劣派に属
し、謗法の罰を何より強調し、仏本神迹,神祇不拝の姿勢を堅持していた。
だが当時の日蓮正宗の布教監の小笠原慈聞は近代天皇制・国家神道の
国家体制に迎合し、日蓮宗との統合に賛意を示した。

 創価教育学会は日蓮正宗内では特異な信者団体とみなされていた。牧
口は日蓮宗との統合に断固反対し、さらに法主が命じた伊勢神宮の神札
である神宮大麻の奉斎を拒否した。

 日蓮正宗の教学においては、末法の世においては神は天上に去り、その
後には魔物が存在するだけであり、このようなものを拝すると限りない謗法
になるとしていた。創価教育学会の信仰態度はただちに当局の察知すると
ころにあり、弾圧が始まった。会合には特高の警察官が立ち会うようになっ
た。1942年、機関誌に「価値創造」が廃刊に追い込まれていた。

 1943年、昭和18年4月、日蓮正宗は迎合の姿勢が評価されてか、単独で
宗制の認可を得た一方で、創価教育学会は同月、幹部の本間直四郎が砂
糖の闇取引を理由に検挙され、さらに北村宇之松が経済統制例違反で逮
捕された。6月には折伏の内容を口実に陣野忠夫、有村勝次が逮捕された。

 さらに同年7月6日、旅行先の伊豆で牧口常三郎が逮捕され、同日、理事
長の戸田城聖も兜町のカギサ商店から高輪署に連行された。まだ発展途
上であった創価教育学会は、この官憲の弾圧により幹部21名が逮捕、拘束
されて、その検挙された幹部たちに激しい拷問が加えられた。過酷な取調
べが続き、治安維持法違反、神社への不敬罪で起訴された。

 創価教育学会は日蓮正宗の教義に忠実であり、この世で唯一の正しい
宗教である日蓮正宗を国家が採用することに依ってのみ、戦争で勝利で
きるという立場であった。現在の創価学界の平和的姿勢はまだ存在してい
なかった。

 戦局の悪化とともに会員の間で、日蓮正宗の採用を国に迫るべきという
国家諌暁の動きも出てきた。だが日本政府は何よりも近代天皇制・国家神
道を国家支配原理としていた。ますます悪化の戦局により、思想統制のこ
としか頭になくなった当局は招集の採用どころか、弾圧を強めるのみであっ
た。

 牧口常三郎への激しい取調べの中心は天皇と伊勢神宮への態度となっ
た。

 牧口は「神天上の法門」を述べ、以下のような、「天皇一元論」を主張し
た。

 『伊勢の皇大神宮に対してましても、・・・・・・天照大神は天に上って、後
は空虚で悪鬼が入っているのみであり、そのような処を参拝など必要は
ないのであります。これは本尊に帰依しながら他の神仏を拝むのは謗法
に当たることになります。宗門では謗法を厳に戒めております。

 私の伊勢神宮への観念の真意は、やはり其処にあるのでありますが、そ
のように説けば世間に誤解を招き、問題を起こすと思いますから、わたしは
学会員には天照大神、天皇という二元論でなく天皇一元論を建てておりま
す。・・・・・天皇陛下一元論であり、天皇陛下を尊崇し奉ればそれでよしであ
リ、伊勢神宮に参拝する必要なしとの信念できました。天皇陛下を尊崇すれ
ば天照大神も尊崇し奉ることになりますから』

 ともかく日蓮正宗こそこの世で唯一正しい宗教とし、宗教として天皇も伊勢
神宮も決して拝することは許されないとした。だが、当然、国家神道を国家
原理とする国が許容するはずもなかった。

 牧口への起訴状は伊勢神宮の尊厳を傷つけたとして激しく攻撃する内容
であった。

 一斉検挙で創価教育学会を壊滅させ当局にすれば裁判など単なる形
だけの手続きでしかなかった。だが戦局は奈落であり、法廷は一向に開か
れなかった。戸田城聖は獄中でも勤行を欠かすことはなかった。ーさらに
食品、栄養剤などの差し入れを持って体力を維持した。だが老齢の牧口は
、毅然として過酷な取り調べに応じたが、1944年10月すでに4人の子供に
先立たれており、唯一残った三男の戦死を知らされ、気力が衰えて一切の
食事の摂取も行わず、翌年、1944年11月73歳で栄養失調で餓死、獄死した
のである。

 他の幹部は続々転向したが牧口と戸田の二人は頑として転向を拒否し
た。

 ★獄中で唱題二百万遍の誓いを立て、法華経の真理体得の戸田城聖

  
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 戸田城聖は獄中で白文の法華経を入手できた。全生命を賭けて法華経
に取り組んだ。戸田が牧口の死を告げられたのは終戦の年、1945年1月
であった。親以上として仕えてきた師の死去に戸田は慟哭したが、この苦
境の中で戸田は唱題2万回の誓いをたて、唱題が終わる頃、法華経の開
教、無量義教に依って生命とは何か、遂には積年の疑問を解決できたと
いう。さらに戸田は法華経の從地湧出品第十五まで読み進み、法華経の
心理を体得できたと記している。

 法華経の色読と唱題により、かって味わい得なかった宗教的体験を得
た戸田城聖は、かくして日蓮正宗の信仰に揺るぎのない確信を持つこと
が出来たという。1945年、昭和20年、懲役三年執行猶予五年の判決を得
た戸田城聖は敗戦の前、7月3日に豊玉拘置所から保釈出所した。

 遂に8月15日、国家神道に基づいた大日本帝国は壊滅した。あらゆる
人々、団体を弾圧し、限りなく苦しみを与えた治安維持法、不敬罪も、とり
あえず日本の表舞台から姿を消した。

  明治以降、敗戦までに多くの宗教に加えられた熾烈な弾圧の歴史を
正視し、今後、宗教弾圧が繰り返されないよう治安維持法や国家神道の
強制の出現を断じて許さないと国民は肝に銘じるべきであろう。ファシズ
ムが確実に忍び寄る世相の日本ならなおさらである。

 最後まで非転向を貫いた牧口と戸田、牧口は獄死したが無事に出所し
た戸田城聖により戦後の創価学会は再建され、発展を遂げたのである。

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