つぶやき館

アクセスカウンタ

zoom RSS 全国の学校の森友学園化を目論んでいた安倍政権

<<   作成日時 : 2017/03/25 12:51   >>

トラックバック 0 / コメント 0

 
画像
森友学園の騒動の根本は言うまでもなく、安倍政権、もちろん日本
会議によって作られた宰相は、日本会議の「戦前回帰」の要請、それ
は必然的に表現、思想の自由の抑圧を基本とするファシズムに至る
、・・・・・戦前回帰、改憲の歪んだ使命を帯びた安倍政権はこの2月に
幼稚園でも日の丸、君が代という明治政府創案の国家神道アイテム
の強制すべきとの考えを打ち出したのは周知のとおりである。すべて
は森友学園の中での戦前回帰と一見、思わせる暴走的な教育内容
こそ、安倍政権、日本会議が教育に求めるものであり、だからこそ、
戦前回帰の様相の、といって幼稚園で戦前、同期の桜を生徒たちに
歌わせていたとも思えないが、コンセプトはまさしく明治以降の戦前
回帰、そのような教育を日本中の学校に広めたい、その先導となる
森友学園というわけで、安倍晋三小学校名での街頭での寄付などと
いう常軌を逸脱した行為の容認、塚本小学校の線z年回忌、軍国的
教育の継続となる小学校設立への「規制緩和」、あらゆる掟破りの
財務省への圧力、口利きなど、実質、「国立小学校」、日本会議コン
セプトの国立小学校というべき暴走が行われたのである。

 まさしく問題の根本は安倍政権、それを支配する日本会議の全国
、日本中の学校の森友学園、戦前回帰教育の先鞭となるモデルとな
る学校への強力な政権、さらに大阪府の支援であったわけだ。

 とにもかくにも昭恵の間抜けな言動、安倍晋三と昭恵を森友学園
の問題から遠ざけようと必死の工作が行われて、昭恵付き秘書の
南米転出まで噂され、さらに昭恵の携帯水没と、まったく珍妙なる
醜態の続出だが、すべての根本を見失ってはならない。

 戦前回帰を目指す日本会議の教育への介入は全国で執拗に行
なわれおり、さらに自民党、安倍政権に働きかけての露骨な「教育
改革」、安倍政権自身が一体化した日本会議と全く同じ考えによる
「教育の理想化」、戦前の国家神道のもとでの教育の再現という強
固な思いが森友学園への支援、優遇を生んだことは間違いない。

 森友学園が仮に消えたにしても、安倍政権、日本会議の日本の
学校の森友学園化、という真の目的が何ら変更されるわけでもなく、
消えるわけでもない。

 明治以降の国家神道・近代天皇制下の教育はもっとも「有効な手
段」としてあらゆる面で徹底的に国家の目的遂行のために蹂躙され
たのである。「教育は恐ろしい」という言葉はあるが、それはまさしく
明治以降、戦前の教育を指しているのである。

 明治以降、戦前の教育は恐るべき国家管理が貫徹されていた。
教育勅語の発布につづいて、(復活するとは思いにくいが)小学校
には天皇、皇后の「御真影」が下賜され、この御真影は国家神道の
教育現場における最高の崇拝、礼拝の対象とされた。文部省は学
校教育の基本を教育勅語に置き、教育勅語からの教育の逸脱がな
いか、私立学校まで徹底監視した。
 
 教育勅語は記紀の絶対化に基づく天皇崇拝と祖先崇拝を結合
したような内容であり、家族国家論、家段階ら国段階まで忠孝の
理念で一体化させるものであった。記紀の絶対かと祖先崇拝の観
念こそは明治以降、日本の教育を支配した国家的な思想であった


 国家神道は古事記、日本書紀を絶対の聖典とし、それが歴史的
事実であり得ないにもかかわらず一切の疑念を抱くことが国家神道
経の許されざる冒涜とされた。天孫降臨など、記紀の中の記述は
学校教育における基本であり、最重要な貫徹される教育思想であっ
た。学校内で教師や生徒がいささかの疑問を抱くことも絶対的なタブ
ーであり、不敬とされた。明治政府創案の宮中祭祀、それにもとづく
祝祭日、天長節、紀元節などは校教育でも最重要の行事であった。


 国家神道は政治思想でも統治原理でもないが即座に主権在民の否
定に通じるもので反民主主義の強力なイデオローグとなり得る、皮肉
な道具であった。明治政府が近代諸制度設置から学んだもの、最大
のものは、

 近代の強制的なな教育制度によって、いかような思うままの人間を
国家は作り出すことができる、であった。それが実証されたのが明治
以降の近代教育制度である。

 神話は決して政治的役割を担うものではない。ギリシャが世界に誇
る神話を持ち、教育でも最重要な科目でろうと、それが政治的な意味
を持つことはない。だが世界、近代史に於いて日本は神話が国家の
支配の正当性の根拠、イデオローグとなったのである。これがいかに
稀有というより異常であったか。明治以降、日本政府は政治的意味に
満ちた神話を国民に教え込み、いかなる疑いも抱かぬように信じさせ
る教育を行い続けたのである。

 教育勅語、修身、また祝祭日の紀元節、天長節、国家の君が代など
戦前は義務教育段階で特に国家神道が叩き込まれた。神道は特段の
教典は持たないが明治政府の創宗になる国家神道はその間隙をついて
大日本帝国憲法、教育勅語、国体の本義、軍人勅諭など自前の教典を
用意した。

 戦前回帰を目指す森友学園こそは安倍政権、日本会議の理想とする、
現実的な目標となる教育の実践校出その先鞭をつけるものであった。だ
からこそ数々の掟破りの連続であったのである。

 昭恵のいうように『塚本幼稚園の教育内容が公立小学校にそのまま
進んで途切れてしまっては意味がない」、・・・・・・戦前の国家神道下の
教育を再現したいのである。

 今度の件がどうなろうと安倍政権、日本会議の教育の歪曲化は収ま
る可能性はない。何が根本にあるか、忘れてはならない。

月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文
全国の学校の森友学園化を目論んでいた安倍政権 つぶやき館/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる