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zoom RSS 自分探しの旅の終末、・・・人生の終末は安らかに

<<   作成日時 : 2017/03/16 23:34   >>

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アイスランド映画の「春にして君を想う」は人生の終末期を何か深く
感じさせてくれる。居場所がないと感じた老いた男がかって親しかった
女性と再会、高齢者同士でジープを奪っての逃走劇。これからいえる
ことは人生の終末期にはある意味、孤独、精神の倒錯、蝋梅に襲われ
て、往々にして広義の乱行に及ぶ可能性があるということ。

 実際、高齢になったらどういう心境になるか、というより単に心境という
より孤独、生き甲斐の喪失、病気、経済上の切実な問題など途方にくれ
る難題に襲われてしまうものだ。人生いろいろ、高齢になっての心境も、
これまた色々でも、しょせんすべての人間は本当に限りある人生で残り
の時間は短くなるだけ、あの世に何一つ持っていけるものはない。

 人生模様は人により、驚くほど差はあるにせよ、老いてその先の運命は
全て冷酷なまでに共通である。とはいえ、幸福な、充実した現役生活を送
り、経済的に恵まれる老後と、はみ出し人間で終わってしまい、さりとて何
を成したわけでもない人生では老後の心境も現実の安定度も大きく異る
のはまた已むを得ないだろう。

 だが、あらゆる千差万別を考えても、全ての人間は同じ運命にある。生
まれて、苦しんで、死ぬ、それだけである。その限定された個別の運命の
中での、果てしない自分探しの旅、・・・・・それが人生というもの。もちろん
、回答などどこにも見当たらない。拙い人生、汚辱にまみれた人生でも、
そこには厳然たる自分探しの道程があるはずだ。過ぎ去ったことはどうし
ようもない。すべての過ぎ去ったことは、無条件に人生の宝なのである。

 さて、内輪の話だが、どこまで真に受けてよいのやら、母が権利を譲った
不動産の営業、譲ってもらった方は不動産協会への保証金を支払う必要
がない。現在は1000万、かっては300万円。そのはるか昔、営業権を譲っ
たので、その保証金を今になって返せと母が言いだした件、どこまで信憑
性があるのか、・・・・さっぱリ分からない.痴呆になると突然、昔のことを思
い出して他人を泥棒扱いして金を返せ、などと言い出すものだ。

 ま、「もう安らかに人生を終えることだけを考えなさい」と諭して納得した
ようだが、また気が変わるかもしれない。いずれにせよ、無意味の極みで
ある。

 こんな醜態は自分探しの旅の終末、などという高尚な言い方は不適に
せよ、ある意味、そのニュアンスは含んでいる。

 人生は玉葱の皮をむぎようなもの、涙を流して皮をはいでいっても、結局
何もなかった。涙を流させる皮だけが全てだっった、・・・・・・似た話だと思う
。人生の最後で何か得られる、はずはない。そこに諦めを覚えてここr静か
に生きられる人は幸福である。何も望むものはない、安らかな精神のみ、な
のではないか。

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自分探しの旅の終末、・・・人生の終末は安らかに つぶやき館/BIGLOBEウェブリブログ
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