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zoom RSS 戦前(明治以降)を支配した教育勅語、不自然なサンドイッチ構造

<<   作成日時 : 2017/03/09 12:16   >>

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  明治以降、敗戦後しばらく、日本は国家神道(=近代天皇制)という
独自のファシズム国家であった。私が中学生の頃、その当時の中年の
教員は戦前の教育なのだが、職員室に行ったら他の教員とともに朗々
と「教育勅語」を高唱しているのを見たことがある。戦前の国家神道の
世界、近代天皇制社会を考える時、何をさておいても教育勅語ほど重要
なものは他にあり得ないだろう。国民の生活、精神に与えた影響では比
すものがないといって過言ではない。「国体の本義」や「大日本国憲法」
は紛れもなく国家神道の教典、国家神道の聖典は古事記、日本書紀で
あるが影響という点で国民に身近で精神生活、ひいては戦前国家神道の
社会を支配したのは教育勅語である。

 戦後、明治以降、学校教育、国民生活に徹底して叩き込まれた教育
勅語は国家決議においてその無効を決議されている。だが、戦前回帰、
明治回帰を図る勢力がことあるたびに「教育勅語」の復活を陰に陽に試
みているのをみても、その国家神道社会における重要性!がわかろうと
いうものだ。森友学園の塚本幼稚園でも生徒に教育勅語を高唱させて
いたのは周知の事実。

 「何も間違ったことは書かれていない、普遍的な道徳律も述べられてい
る!」

 まあ、そういうだろう。その内容、由来、成立史を簡単に概観する。


   ヘ育ニ關スル勅語
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテヘ育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽

 
  国家神道は宮中祭祀、神社神道を主なリソースとして換骨奪胎
し、すなわち大きくディフォルメして新たな祭祀、制度、アイテムを数
多く新設し、近代国家における特異なファシズム形態を確立した。が
、その確立も一朝一夕にはいかない。記紀を絶対的聖典としても、こ
れ自体はかこの政治神話にすぎない。現実の近代社会の統治に直
接、応用など出来る代物ではない。

 近代国家への記紀の国家原理化は雲を摑むような話である。その
具現化は大日本帝国憲法であり、さらに重要なものが教育勅語であ
った。

 1889年(明治22年)大日本帝国憲法は発布された。だがこの記紀
の国家原理化による国民統治にはさらなる国民に身近となる何か、
が必要と考えられた。それは自由民権思想、社会主義思想の国民
への浸透を防ぎ、民法改正も相まって国民の家族制度も含めて、
「記紀の国家原理化」の敷衍たる国民教化運動を文部省が決定した
。それは学校教育の中で行うという方針であった。

 学校教育の中での生徒たちへの教化が目的であるから、議会の
制定法などは不適であり、明治天皇自身の意向もあり、勅語という
形式をとって示されることとなった。

 その結果の教育勅語であるが、

 『朕惟フニ皇祖皇宗国を肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深遠ナリ

  我ガ臣民克ク忠ニ克ク億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ済セルハ

 此レ我ガ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニコレニ存ス』

 最初に記紀の国家原理化の具現表現というべき天皇と臣民の、そ
のあるべき関係、天皇は天照大神以来万世一系の神の子孫で現人
神であり、国家の最高の存在であり、ながく実際に仁政を続けてきた
こと、国家創立以来、臣民は天皇に尽くしてきて仕え続けてきたこと
。それこそがこの国の規範であること、など。

 『爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信ジ恭倹己ヲ持


 博愛衆ニ及ボシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ

 進デ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国権ヲ重ジ国法ニ遵ヒ   』

 ここでは何か一般的、普遍的な意味内容のことが述べられている
。人間関係が親子、兄弟、夫婦、朋友などとか述べているのは、こ
の部分は儒教的な要素が濃い。ここをもって「教育勅語」は現代でも
通用する、正しいという者が入るわけであろう。

 だが、

 『一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以て天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ』

 まずもし何か起こった場合、という意味なら「アレバ」は誤りで「アラ
バ」としなければいけない。この明らかな文法上の誤りを正しいと強弁
する者は今に至るも後を絶たない。「あれば」だと「何か起こったので」
という「理由付け」になる。

 これは戦争などの非常事態には臣民は戦いに馳せ参じる義務があ
る、と解するのが打倒で、神聖不可侵の天皇の統治に服す、と広い意
味に取るのは無理がある。前段の儒教的精神の封建的忠孝の観念、
日本人の宗教的伝統観念の祖先崇拝と天皇制との結合というべきで
ある。

 それ以降の最後の部分は日本人の先祖伝来の天皇と臣民との深い
つながりを述べ、それは普遍的な意味を持つとする。

 ★教育勅語の「サンドイッチ構造」を生んだ二つの見解の接合

 現実に教育勅語は元田永孚と井上毅の二人が書いたものである。

 元田永孚は思想は儒教に染まっており、さらに国家神道を国教と
スべしという明確な考えを持っていた。対して井上毅は西欧の思想
に通じた近代合理主義者であった。したがって井上は最初は教育勅
語自体の制作に乗り気でなかった。井上は政教分離、国教には反対
の考えであった。「宗教、道徳は本来、国家の扱うべき分野ではない
」として井上はその起草に際して幾つかの条件を提示した。国務上の
詔書特別市てのあくまで天皇の個人的文書とし、内容も宗教色の薄
い、道徳律を中心とすべきとした。

 かくして元田永孚と井上毅の相反する考えの妥協の産物が教育
勅語の「サンドイッチ構造」をもたらした。

 間の部分に道徳律的な内容、臣民が守るべき徳目を説き、最初
と最後の部分で国家神道の国家原理化の具現化、国家神道の
教化要素が述べられている。サンドイッチの表面は国家神道の天照
大神にゆらいしる天皇信仰、その皇祖皇宗への臣民が持つべき畏敬
の念、強固な天皇崇敬が述べられている。

 限りなく古代回帰を旗印にした国家神道もたいすべき世界は現実の
近代社会であった。儒教との習合もまた必然であった。

 ともかく戦前、国家神道の日本において教育勅語ほど国民に教化
され、影響を与えたものはない。井上毅の懸念は結局、当たってしま
った。帝国憲法が一体、近代憲法なのか国家神道の教典なのか、ま
さに時代錯誤性の矛盾は教育勅語にも流れ込んでいる。

 

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