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zoom RSS 明治の狂気がなぜ現在の日本を支配するのか

<<   作成日時 : 2017/03/07 21:14   >>

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  自民党総裁任期が三期、九年となった。全ては日本会議が改憲
のために送り込んだ安倍晋三という自民党総裁=総理が、改憲を実
行うための長期の任期である。アベノミクスとかそれ以外の政策は、
全て改憲を行うための支持獲得のための手段でしかない。全ては日
本会議、神道政治連盟の要請の改憲、戦後レジームからの脱却だけ
が唯一の目的なのである。戦後レジームからの脱却といって最強、最
大の戦後レジームである日米安保体制、日米合同委員会、国内法に
遥かに優先する対米秘密協定は絶対的死守なのである。ただ日本国
憲法の天皇象徴制、主権在民、基本的人権の尊重、平和主義、・・・・
などが日本の「伝統」に背き、脱却すべき戦後レジームの要素なのだ
という。だから改憲せよ、そのために送り込んだ人物なのか、あるいは
デコ人形なのやら、それが安倍晋三であるわけだ。

 森友学園の如き、幼稚園児に軍歌を歌わせ、軍服が園内を闊歩す
るという日本会議直系、その理想実現が安倍晋三夫婦の強力な後援
で設立運営されるという、奇怪な事象、その謳うことが戦前回帰、明治
に形成された日本の姿が「美しい日本」という倒錯が21世紀において
まかり通り、政権党と限りない一体化を進めるという明治からの狂気
の転移の根源にな似が存在するのか、・・・・・。日本会議、安倍政権、
自民党のいう「美しい日本」とは端的には「国家神道が国家原理」とな
る、古臭い言葉でいえば通弊の「国体」が維持される日本ということで
ある。いかに世界の常識から逸脱しているかは論を俟たない。

 だがこれは現代の先進国、世界の常識からして非常に異様なはこと
である。いまどき、独裁国家でない限り、主権在民を否定し、基本的人
権の保証に反対し、表現集会などの自由に国家的な大幅な制限を加
え、天皇の現代日本的、立憲君主制の表現である象徴性を否定し、天
皇の大権に復そうとする、平和主義の否定という庶民の平和への願望
を蹴散らして当然という非論理性の極み。日本会議の代表委員で安倍
晋三を自民党総裁に押し上げた張本人のいう『ほんとは怖い、国民主
権』、戦前の天皇主権といっても天皇が全てに通じて命令を下せるはず
もなく、全ては専制政府の政治家、官僚の思うままであった。つまり国民
主権でもなく天皇主権でもなく、専制政府の身の毛もよだつ官僚政治が
全てであった。国民に主権を与えないための天皇主権、天皇大権だった
に過ぎないが、理念は古代国家における王政復古、記紀を聖典とする
国家原理化と近代国家建設の矛盾が最低限の論理さえ、破綻を招いて
いたと考えるべきである。

確かに多くの国、民族は独自の神話を持っている。当然、その神話
の中には神々が存在する。しかし近代以降、神話の神を持って自らを
絶対的な神国とし、激烈な外征戦争を聖戦として絶対的正当化をし、
外地に出ての戦争を繰り返した民族、国は他に存在しない。これこそ
が明治の狂気であり、戦後、自民党と最も密接で影響を行使し続けて
いる神社本庁、神道政治連盟(それをふくむ日本会議)がその国家観、
戦争観、歴史観の是正を頑強に拒否し、明治の狂気をそのまま維持し、
さらに増幅させて政治との一体化を果たしている状況は明治の狂気の
現代、将来に日本支配であり、世界にまさしく一切例を見ないと言って
何ら過言ではない。記紀を近代国家の出発点で国家原理とするという
恐るべき倒錯が、近代国家の諸制度により、国民にそれを徹底教化す
ることで数限りない戦争の聖戦化、その内外の痛ましい犠牲者を顧慮
しないという窮極の非人道性が貫徹され、国民精神の癒やし得ない歪
みを生じて戦後なお、時代錯誤のバックラッシュを生む要因となってい
ることは否定できない。

 たしかに明治から敗戦までという、わずか77年前後の短い期間、日本
の長い歴史から見て、また戦後の長さから見ても、・・・・そのあまりに特
異な時代、あたかもこの時代の日本が古代を旗印にした近代ファシズム
、軍国主義の権化となって外征侵略の限りを繰り返した、あまりに日本
の本来の伝統に反する異常な時代であった。

 異常過ぎたが、そうなったのも相応の理由がある。江戸幕府による
開国の後、佐幕派と尊王攘夷派などとの抗争、政争が激しさをまし、ほ
とんど内戦的状態に移行し、展開していく時代背景で、日本歴史上で
例もないほど神道の興隆が比類なく最高潮に達し、倒幕の段階では、
それまでの幕府の権威は完全に地に堕ちて失墜し、天皇の古代的な
宗教的権威の復活こそが、江戸幕府による幕藩体制の打倒という政治
的な目標と一体化した。幕末維新期の異常な神道興隆は各藩において
仏教の廃止、廃仏、全国的な廃仏毀釈を生み出した。民衆レベルにお
いては「ええじゃないか」の散発的騒乱、狂騒で結局、新たな政治社会
体制への民衆の参画は低次元で雲散霧消してしまった。

 ここで近代国家の創設、が古代回帰、天皇の宗教的権威復活を旗印
とした政治クーデターが明治維新であった。初期においてはそれまでの
神道の伝統的リソースを明治政府という国家が新たな、全く新たな、つ
まり伝統に反するというべき、創宗宗教である『国家神道』、伊勢神宮を
本宗とし、善神がヲの下に置く格付けが行われ、最高神を天照大神とし
、数多くの宮中祭祀、祝祭日、国家神道の多くのアイテム、国歌神社の
国家管理、神職の官吏化、祭政一致など数多くの新宗教、国家神道の
枠組みと内容が決定された。

 国家神道とは建前の上で非宗教とされ、神社は祭祀に徹することと
なった。国家神道は明治政府による古来のリソースを流用しなからも
新たな要素を数限りなく新設した近代のファシズム国家体制である、そ
れはキンだっ天皇制と同義である。

 大日本帝国憲法は何よりも国家神道の教典であり、国家神道の祭
政一致の国家構造、国家原理、すなわち記紀の記述内容を全て歴史
的事実、民族的真実とし、それらを「聖典」とし、国家神道の究極の教
典とされた。窮極の教典が古事記、日本書紀の記紀であり、天孫降臨
、など、そこに描かれた大和朝廷による政治神話はそのまま国家原理
であったが、それを近代祭政一致国家に具現化するのは大日本帝国
憲法であり、また教育勅語であったことはいうまでもない。

 ★明治政府国家の異常性は近代国家では他に見られない、伝承の
神話、しかも自らの支配の正当化という目的で編まれた政治神話を、
絶対化して憲法の中に取り入れたことである。この意味で大日本帝国
憲法は真の意味の近代憲法ではなく、近代に発生した類まれな古代
の神話要素を国家原理とした祭政一致国家の統治教典というべきも
のであった。

 江戸幕府が封印していた一部に存在していた神道パラノイアを開け
放ってさらに国家原理としたのが明治政府であり、まさしくパンドラの
箱を開けた、というより創造、捏造したわけである。

 ★いかに大日本帝国憲法が国家神道の具現化、統治への応用を
規定したものでも明治以降、日本化官僚制度、近代教育制度、軍国
主義などにおいての「現実への応用」は、紀元節、天長節など宮中
祭祀の数多くの創設、それらが暦と一体化しての祝祭日となり、近代
教育制度において記紀の政治神話はもっとも重要なテーマとして生徒
に徹底的に叩き込まれ、新たに創設、あるいは国家神道の創宗から
一世紀程度遡るに過ぎない宗教儀礼まで遥か悠久の古代からのもの
であるという錯覚をその近代教育制度と教化によって国民に錯覚を植
得つける結果となり、それが現在の日本会議、自民党シエ権まで続い
ているわけである。一人の天皇崇敬を一世一元という制度によって強
化し、これが遥か悠久の伝統であるかのごとく戦後、神道政治連盟な
どの保守勢力によって法制化が政治運動の最重要項目として運動の
対象となり、政治的目的を達したことを見ても、「明治に新設を遥か古
代からの伝統」と錯覚の現代化が常に繰り返されている。

 国家神道の新たな儀礼、祭祀、制度は単に新たというより、日本の
神道意外の宗教的伝統をも含めたものを容赦なく「換骨奪胎」すると
同時に「意図的な伝統からの離脱」という新宗教らしい性格を帯びて
いるといえる。それらが国民に広範に今なお「錯覚」を与え続けてい
る原因である。もちろん、神道政治連盟、それを含む日本会議、自民
党による錯覚持続の戦略があることは言うまでもないが。

 ★極度の軍国主義、思想統制、宗教弾圧の歴史の国家神道

 もし国家神道の狂気というなら国家神道の持つ極度の軍事的な
性格が挙げられねばならない。台湾出兵が最初であり、日清、日露
という戦争が10年間隔で続いた。朝鮮支配を神国と争った日清戦争
、中国東北部支配を巡ってロシアと争った日露戦争により国家神道
はある意味完成したと言える。戦争と一体化した天皇への崇敬は、
国家神道の軍事的性格を揺るぎないものとし、戦争は天皇による
戦争として絶対的に正当化され、聖戦となった。遂には神国日本が
世界に対しての絶対的優越を意味し、国家管理化された神社では
氏子を兵士としておくる武運長久の戦勝祈願が最大の祀となった。
これは神社の軍国化であり、戦後も一貫して神社勢力、神社本庁
、神道政治連盟がその当時と寸分違わぬ歴史認識、国家観を維持
し続けていることが戦後の国家神道の狂気の持続の根本要因とさ
え、いえるはずである。明治から敗戦までに行われ続けた軍国の狂
気、思想統制弾圧の狂気、教育の狂気、宗教弾圧の狂気はそれ
を正当化するファシズム化の嵐となり、戦後も天皇制の存続を挺子
とした狂気の再現の試みは常に繰り返され、それがついに日本会
議、安倍政権、自民党の改憲の行動に直結しているのである。

 戦死者の急増は天皇の名による聖戦の戦死者を「英霊」として祀
る靖国神社の存在を限りなく重くした。神社の国家神道による軍国
化の窮極が靖国神社である。

 神道政治連盟、神社本庁は靖国神社国家護持をある時期まで
最大の政治目標としてきた。その根底にあるものは明治において
醸成された考えである。

 天皇の名による日本の行った戦争は絶対的に正しく、それは聖戦
である。

 その天皇の名による戦争、聖戦で死んだものは英霊として、神とし
て靖国神社に祀られる。

 国民はすべからくその英霊を崇拝し、もし次の戦争があれば自分
自身もよろこんで「英霊」になることを躊躇うべきではない。

 これが神道政治連盟、日本会議の現在も確固と主張の考えであり
、靖国神社での日本会議の終戦の日の集会もそれで貫徹している。

 稲田朋美が「靖国神社は戦没者の慰霊や平和への祈念を行う
場所ではありません。いざとなったら自分もあとに続くという決意を
行う場所です」といみじくも言い放っているのを見ても分かる。

★古代を称して旧いものから要素を拝借しつつ大半は全く新しいもの
を創案し、それを古代からの伝統といいくるめることで近代国家の国
家原理、統治原理として看板の古代と現実ののファシズムという狂気
が戦後生き残り、21世紀になって燃え上がる理由は狂気時代の神社
勢力がそのまま戦後につながった、近代教育制度が国家神道下の
制度と基本的には同じとであること、最大は「天皇制」が生き残り、これ
を持って近代立憲君主制を拒否し、国家神道の狂気に引き戻そうとす
る勢力が現実の政治をも支配し続けているのである。

 では明治の狂気がなぜ戦争の惨禍が身にしみて平和tの尊さを知
リ尽くしたはずの日本人、その日本に生き残り、さらに増殖し、日本を
再び支配しようとしているのか。

 大きなポイントは「天皇制」である。日本人は古代から連綿と「天皇
制」が今に続いていると思いこんでいる。その場合、日本人が想起し、
思い込む、無意識的に思い込んでいる「天皇制」とは明治に新たに創
設された「国家神道」に基づく近代天皇制である。近代諸制度を利用
して国民に徹底教化された近代天皇制である。それまで、江戸時代
まで、民衆はメディアもなく近代の教育制度、学校制度もなく、天皇を
知ることもなく生活で民衆が天皇を意識することもあり得なかった。お
かげまいり、伊勢神宮への集団の巡礼、参宮は何も知りもせず意識
もしない天皇、その祖先、皇祖神の天照大神への崇敬ではなく、外宮
、すなわち農業神としての伊勢外宮への参宮だった。その意味で明治
以降の日本人が考えるような「天皇制」などどこにも存在していなかっ
た。宮中祭祀も民衆とは全く無縁の世界であった。全ては明治以降に
変わってしまった。近代の出発が古代政治神話の記紀の内容が政治
権力の正当性の根拠となった世界してきにも例を見ない時代錯誤で
あった。ここに「天皇制」は始まったが、これはあくまで近代国家におけ
る狂信であった。

 敗戦後、天皇制を残すことで日米は一致した、日本国憲法におい
て第一章に天皇は規定された。主権在民というにはおよそに合わな
いこの規定の在り方は日米の合意を表している。だが敗戦後すぐ、と
いってよい1946年2月3日に国家神道回帰を事実上の目的とする神社
本庁が宗教法人として発足している。朝鮮戦争で日本の戦後改革は
GHQにより、放棄され、逆コースが始まった。1951年8月にはGHQに
よる右翼、旧軍人の大量追放が解除され、赤尾敏ら戦前の右翼らに
よる「愛国者団体懇親会」の第一回会合が開かれている。ここにお
いて現在の戦前回帰ファッショ勢力はすでに形を整えていたのである


 明治の狂信が生き残ったのは占領軍による戦後改革が途中で放
棄されたこと、憲法に天皇が大きく規定され、国家構造の中枢となっ
たっこと、たとえ「象徴制」であっても右翼、保守陣営は「天皇象徴制
の否定」という運動を常に明治回帰、戦前回帰、国家神道国家への
回帰の挺子として利用するという方法論を戦後すぐに見出したので
ある。それが現在の日本会議、安倍政権の「改憲」の本質である。


 なぜ21世紀に明治の狂気が生き残ったのか、一つのヒントになり得
たかどうか。

 

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