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zoom RSS 日本が「神の国」であれば、なぜそれがファシズムを要求するのか?

<<   作成日時 : 2017/02/21 19:48   >>

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 現在、豊中市に建設中の国立!森友学園、日本会議直系の小学校
に国が差し引き200万円の収入という、実質タダで譲渡されたと話題にな
ていおる。大阪はなぜか日本会議の勢力の強い地域であり、東大阪市に
は日本最大規模の日本会議の支部がある。そこから日本会議系教科書、
育鵬社の教科書の採択が現実化している。その日本会議の主張とは、で
はなんだろうか、端的に言えば明治以降の近代天皇制を再現する、その
実現の外交的担保としての親米路線、自発的対米従属路線である。明治
から敗戦までは近代天皇制の国家神道祭政一致軍国主義国家であったが
基本的に反米、仮想敵国としてノアメリカであった。戦後はその戦前回帰へ
の保護者としてのアメリカ追従が露骨である。

 雑誌「宗教問題」に日本会議の幹部中の幹部理論的支柱の長谷川三千
子が「幻の首相演説」、・・・「日本は神の国」という寄稿を行っている。

 最初に少し、長谷川三千子の文章があるが、そのあとは幻の首相演説
、すなわち「森喜朗」の「神の国演説」である。長谷川三千子の国民主権
否定などから見れば誠に穏やかなものである。

 

 『みなさん、我国の民主主義は敗戦後、わが国を軍事占領したGHQが持
ちこんで、、植え付けた、思っておられるかもしれない。しかしもしわが国が
とうの昔から「国民のための政治」という政治文化を持っていなかったなら
、そんなものは占領が終わると同時に枯れてしまってでしょう。日本の民主
主義がしっかり根付き、息づいているのはまさにわが国の歴史と文化がそ
れを支えているからにほかなりません。

 ではそれはいったいどんな文化なのか?じつは、まさにそれこそが

 「天皇を中心とする神の国」

 としてのわが国のあり方なのです。(ここから仁徳天皇のような民を思う
心が綴られている)

 つまり、わが国の建国の理念は何かといえば「国民のための政治」をし
なければならない、ということであり、それはすなわち神々の命令なので
す。

 ・・・・・・・

 時間にすれば短い間でありますけれど、直立不動でお言葉を賜る間、
自分たちに負わされた責任の重さというものが、全身に染み渡る思いが
いたします。まさに代々天皇陛下が継いでこられた「おほみたから」をい
つくしめ、その幸せと安寧を第一のこととして「政」をせよ、ーその使命を
、われわれ国会議員一人一人が、自らの使命として、全力を尽くさなけ
ればならないんだ、という、そういう思いでむねが一杯になるわけであり
ます。

 天皇を中心とする神の国日本

 この伝統があればこそ、われわれは「日本国憲法」のもとで力を合わ
せて、国民のための政治、民主政治をやっていくことができる。このよう
な素晴らしい国に生まれた幸せを、ともに噛み締め、将来に活かしてゆ
こうではありませんか』

 首相としての森喜朗の議員を前にしての「神の国」訓示であり、長谷川
三千子のように今や「ほんとは怖い 国民主権」、改憲一辺倒、の主張か
ら見れば随分と穏健を極めている。まさに穏やかな「神の国」発言である。
これは現在のファッショ団体としての日本会議とは大いに異なると思う。

 ★1889年、明治22年、2月21日、明治政府は大日本帝国憲法を発布し
た。全国の神社で奉告祭が行われ、宮中でも皇祖皇宗の神前で奉告祭
が執り行われた。

 大日本帝国憲法は天照大神の万世一系の子孫である天皇がさだめた
欽定憲法であり、それは近代憲法とはいい難い、祭政軍一致を規定する
国家神道宗教宣言であった。

 その根拠は記紀の記述のみである。

 世界各国に、各地域に民族神話は数知れず存在し、それぞれが「神」
を有している。
 しかし記紀、古事記、日本書紀は本来の意味の純粋な民族神話では
ない。大和朝廷が自らの支配を正当化するために編んだ露骨な政治的
神話である。自らの先祖は神である、だから自分も神で正統な支配者で
ある、その目的があまりに明確である。

 ギリシャ神話は世界の神話で筆頭の位置に立つ神話中の神話である。
したがってギリシャでは徹底して学校教育で教えられ、一般教養としても
決して欠かすことの出来ない必須の最重要知識である。

 ギリシャ神話は恐ろしく悠久の歴史にも続く古代ギリシャをホメーロス
の叙事詩も含め、トロヤ戦争など歴史的事実をも数多く含んでいる。ギリ
シャでは学校教育の歴史教育としてギリシャ神話が教えられているのも
極めて理由がある。ギリシャの神々はその長い古代ギリシャの歴史から
の昇華であり、世界の至宝である。

 さて、ギリシャ神話が現代にファシズムを誘引する要素、要因は全く存在
していない。他国の神話でも、それが現代にファシズムを招く、などという
神話など存在しない。ギリシャが宿敵のトルコと戦争するとき、「わが国は
ギリシャの神々の神国だ」などといった事実は見当たらない。

 AD8世紀の編纂、製作、しかもそれは政治支配者である大和朝廷によ
る大和朝廷の支配の正当性という目的のための政治神話であり、ギリシ
ャ神話のような「至宝」神話と比肩し得るものでもなく本来の民族神話でも
ない。

 政治神話である記紀、ー古事記、日本書紀はなぜ現代にファシズムを
、警察管理国家を生んだのか、・・・・・のである。

 それは近代のファシズムに利用され得る要素を含んだ意図的な政治神
話という神話としての純粋性の欠如にあると言わねばならない。

 国家神道とは何より近代ファシズムの一形態である。したがって同義の
近代天皇制も非宗教の宗教の衣をまとった近代ファシズムの一形態とい
うことになる。神道、仏教、キリスト教という三種の布教公認宗教の上に
絶対的に非宗教という建前の国家神道が君臨し、公認でないものは監視
と弾圧の対象であり、公認宗教でも当局が眼をつければ容赦ない弾圧を
受けるという時代錯誤のファシズム宗教国家はなぜ生まれたのか、である

 古代神話の神がいたら現代にファシズムを誘引する?はずはない。ギ
リシャ神話には数々の神であふれている。他の民族神話とて同じである
。世界の諸民族に神話があり、そこには神がいる。だからといって近代以
降、「わが国は神の国だ」と声高に叫んで戦争を行った国は日本以外にな
い。神は日本にだけ、いたわけではないのである。

 端的に言えば記紀が現代にファシズム、警察国家を要求しているはず
はなかろうが、そが「支配の正当化」のための人為的政治的神話であった
こと、

 「自らを神の子孫」として支配の正当化とした天皇家の、「万世一系」?
の子孫であると称し、称される人物が天皇であり続けていること。「神」で
ありながら血を神の証とするその徹底した世襲思想は現代の自民党国会
議員において世襲が大半、という状況をあたかも補強する慣習であるかの
ようだ。

 このような例は世界に見られない。無論、歴史学としてみれば神武天皇
にせよ、その後の天皇にせよ、その名称は漢字流入後、AD4世紀以降に
命名されたものは明らかであり、天照大神もほぼその時期である。考古学
、中国の歴史書の記述からして神武天皇即位の可能性はない。全ては虚
構である。といって古代の政治神話であるから、虚構で何も悪いことなど
ない。虚構を非難される道理もない。政治神話などそういうものであるか
らだ。虚構で当然のものを絶対的歴史事実と近代国家の統治の正当化の
唯一最大の根拠とした、その邪心こそが異常なのである。その邪心の行き
先が健全なる自由民権国家でないことは当然であろう。その本音が古代に
名を借りた近代でのファシズム実現であったことは確かであろう。日本の
右翼運動が繰り返し、この行動パターンを繰り返し、ファシズム実現に憑か
れるあの姿を見れば、荒唐無稽の邪心、ここに極まれりと言うしかない。


 ★国家神道は非宗教という建前であったが、そこには政治的存在、ファ
シズムとしての「教典」は存在する。「大日本帝国憲法」、「教育勅語」さら
に「軍人勅諭」である。

 教育勅語は宗教的なものは希薄で、儒教に基づく封建的な忠誠と日本
人の精神的バックボーンの祖先崇拝の観念が基本である。その徳目を守
ることが要求された。家父長的家族道徳を述べているが天皇を親とし、国
民をその赤子とすうr家族国家観であった。そして国民は全て滅私奉公で
天皇へ忠誠を誓い、戦時にさいしては天皇のために一身を投げ打つこと
が国民の義務とされている。

 国家神道は伊勢神道をベースとする神社神道をリソースとしつつ、天
照大神の一神教化を来ない、しかし本来の神道的伝統とはかけ離れた
近代ファシズムの一形態となった。教典は大日本国憲法、教育勅語、ま
た軍勅諭、その他の官僚作成になる文書である。憲法で万世一系の天
皇の統治の日本と記紀をそのまま近代の国家統治原理とし、さらに重要
であったのは「教育勅語」である。真中部分は儒教的な意味合いの国民
が守るべき徳目、だが最初と最後に記紀の内容をそのまま国家原理と
する国体論、戦時には国民は天皇のために命を惜しんではならないとい
う倒錯的な内容が述べられている。

 日本以外に民族的な神がファシズムの口実になった例は特段に見当
らない。だが日本の神、古代の政治神話の神は近代に、現代にファシズ
ムを誘引した、はっきりいえば近代、現代の政治家、官僚は日本の神、
一神教的にされた天照大御神から現人神天皇という、いわば窮極の虚構
をファシズム化の口実とする時代錯誤の限りを尽くし、それは今も続いて
いる。

 森喜朗が「日本は神の国」といったのは、明治の国家原理そのもので
ある。「天照大神以来の万世一系、だから神の天皇が絶対的に統治す
る大日本帝国、」全ては大和朝廷が支配の正当化に作った古代の政治
神話にそれは存している。

 明治国家の支配の正当性も「記紀」それ自体に依存していた。記紀は
神典とされ、いかなる疑義を挟むことも客観的な研究の対象とされること
すら禁止された。

 神話とは文化、歴史遺産の領域として外国では扱われるものを日本の
明治政府は絶対的な国家原理とし、あらゆることはそれによって正当化
されるものとした。

 その意味で明治政府の国家原理は世界史に例も見ない極度の倒錯と
いうほかはない。「万世一系」の神の子孫である天皇が現実に存在する?

 それでファシズムに直結するだろうか?根底に荒唐無稽の国家原理を
持った冷酷な官僚制国家、警察国家がそれをファソズムに利用しない可
能性はまたゼロと言わねばならない。近代国家の制度である教育制度
がその倒錯を叩き込む恰好の道具、手段として使われたのである。明治
以降の日本はある意味、紛れもない近代国家、官僚制度、教育制度を
もつ国家であったが、国家原理の倒錯が全てを狂わしたと言って何の過
言でもない。

 天照大神の万世一系の子孫である現実の天皇の「絶対性」が民主的
自由の破壊を正当化し、あらゆる近代的制度を歪めたのである。
 だがいかに記紀が国家原理としても、およそ近代国家の国民の知的
水準に応える宗教的神学は全くは発達しようもなく、ひたすら記紀をド
グマとして受け入れる従属の精神を近代教育制度で徹底させるしかな
かったのである。根底に非合理、虚構を据えたためにドグマの強要とい
うことが近代教育での最大の眼目となり、「神の国」が外国への優越性
という外征正当化思想となり、幕末から維新にかけての烈しい戦乱が、
天皇への軍事的性格を付与し、近代天皇国家の軍国化をもたらした。

 近代天皇制が真にファシズム化するのは日清戦争での勝利、それに
続く日露戦争への国民の熱狂が顕在化してからである。それまで天皇
と上から連呼されてもどこか冷めていた国民も天皇制とともに闘う日本
という意識が高揚し、戦争の聖戦化となった。近代において自らの民族
神話の神をもって聖戦とした例は他国には見られない。現実にいる一人
の人間を現人神とする国家的倒錯が国民をも倒錯に導いたのである。

 もしギリシャがギリシャの神々を崇拝する神話の国家原理化をはかっ
たら、ギリシャはどうなるだろうか、と考えた場合、結局、文化国家にな
る以外にはない、と容易に想像できる。」だが明治の日本は違った。
「新しすぎる」大和朝廷の政治神話は現実の近代政治を操る口実となり
得たのである。

 それは現在の日本会議をめぐるその主張とそのまま重なるものであ
る。

 諸民族は神話を持ち、それぞれの神話には神々がいる。なぜ日本の
神話のみが近代以降、ファシズムに利用され続けるのか。

 それは古事記、日本書紀が本来の意味の民族神話でなく当時の政治
権力者によって支配の正統性を示すために作られた人為的な政治説話
という神話としての不純さである。これを国家原理とした明治政府、その
思考から一歩も離れられない戦後の保守運動は確かに稀代の世界史
上の稀なる現象であることだけは事実だ。

 未熟な資本主義国、日本はこの古代(といえ、AD8世紀で世界史的
には古代ではない)の政治神話を利用して外地侵攻の戦争に明け暮れ
ることとなったのである。


 

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