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zoom RSS 石川啄木の大逆事件に見る天才

<<   作成日時 : 2016/05/08 22:37   >>

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いわゆる「大逆事件」についての石川啄木の関心、論評の鋭さはまさに
先駆的である。そんじょそこらの文士の比ではない。啄木の生涯はあまり
に短いが、その生み出された作品群を読めば、日本文学史上の稀有な
天才であったことは疑いない。かって宮城音也著「天才」(岩波新書)なる
書物があったが、著者はこの中で天才を「不適応と独創性」と定義してい
る。「不適応」の要素がなければ天才ではない、と言うのである。うまく適
応して巧みに生きる人間は俗物であり、天才の名に値しない、と言うので
ある。それが本当に全面的に正しいかどうかは分からないが、「天才」で
あることの一面を鋭く分析していることは確かであり、この意味で私生活
においては不適応を極めた石川啄木は同時にその独創性もあいまって、
真の天才というに値すると言えるのではないか。ローマ字日記の頃は、ま
ぎれもなく生活は乱れていたが、あの年齢であれほどの踏み込んだ内容
の日記が書けたということは、まさに天才的である。金銭的な乱脈などは
まさしくその天才の傍証となるわけである。

 「大逆事件」の「大逆」自体が明治専制政府による官製用語である。端的
に記せば、宮下太吉ら、せいぜい四名による児戯の如き爆裂弾による決行
の企図の事件を、これを機に世の近代天皇制専制国家に逆らう反体制勢
力の一掃を狙っての明治政府の一大「捏造陰謀叙事劇」の創作であった。

 宮下太吉ら、最大で四名による事案を中心とするのでなく、無政府主義者
の撲滅を図って、全く別個の、幸徳秋水を中心とする長野、箱根、新宮、大
阪、神戸、岡山、熊本と相互に遠隔の地にいる同志たちを結びつける捏造
された陰謀事件と仕立てあげた、「検察」の歪んだ手腕であった。

 絲山著「大逆事件」によれば、例えば内山愚童が幸徳秋水から熊野川の
写真を見せられたと言ったことから、幸徳秋水が上京の際、途中、新宮の
大石誠之助を訪ね、瀞八丁に舟遊びに行き、その舟中で大石と爆弾製造
の密談を行い、さらに箱根に内山愚童を訪ねたうえで上京した、・・・という
「事実」が浮かび上がった、と検察は言うのである。

 小山検事は「これで事件全体の結びつきが非常に良くなって来て、ある人
のごときは月夜熊野川に舟を浮かべて密談をしたというのは、まことに詩的
でもあり、小説的でもある、と評したほどです」

 と、まことに語るに落ちたというべき創作の実態であった。

 だからこそ管野須賀子は死刑判決御の「死出の道草」において

 「今回の事件は無政府主義者の陰謀というよりも、寧ろ検事の手によって
作られた陰謀という方が適当である。公判廷にあらわれた七十三条の内容
は、真相は驚くばかりの馬鹿げたもので、その外観と実質の伴わないこと、
譬えば軽焼煎餅か三文文士の小説みた様なものであった・・・・」

 といって事件当時、これらの真相が外部に漏らされることはなかった、・・・
が。石川啄木は違っていた。

  大逆事件の弁護士の一人、平出修からその裁判資料を石川啄木が閲
覧し、驚愕して思想上の転機ともなったのである。この辺の事情については
平出弁護士の法律事務所の事務長であった和貝彦太郎氏の証言がある。

 「石川啄木とは明星時代からよく識り合っていましたが私がスバル編集
当時、彼は寧ろ若山牧水などと親交を重ね、スバルへはたまに短歌を発
表していましたが絶縁に近い状態でした。それが事件突発と共に平出氏
宅を時々訪問して、調書の閲覧の依頼をしました。大体、あの調書は平出
氏と私の外、部外者には一切見せられないことになっていたのを、啄木の
懇願に断りきれず、彼にだけ見せてあげたのでした。それで啄木は夕方、
暗くなってから朝日新聞からの帰途事務所に立ち寄り,十時、十一時頃まで
熱心に読みふけっていたものです」

 しかし啄木の大逆事件への関心は判決前、事件発生当初から始まって
いる。大逆事件進行中の明治43年、1910年(8月末と推定される)の「時代
閉塞の現状(強権、純粋自然主義のの最後及び明日の考察)」という、まさ
に時代への鋭い批判精神、評論能力を示したものだが、生前、ついに未発
表であった。死後に友人の土岐善麿の編集した「啄木遺稿」(大正2年5月)
ではじめて日の目を見た。

 啄木は「時代閉塞の現状」において

 『斯くて今や我々青年は、此自滅の状態から脱出する為に、遂に其「敵」
の存在を意識しなければならぬ時期に到達しているのである。それは我々
の希望や乃至其他の理由によるのではない。実に必至である。我々は一
斉に起って先づ此時代閉塞の現状に宣戦しなければならぬ・・・・』

 この当時、これだけの文章を啄木以外の誰が書けたであろうか。副題に
ある「強権」からその「敵」が明治専制政府による天皇制警察国家の魔の
手であったことは言うまでもあるまい。ただし啄木の大逆事件関連の文章
はことごとく不発弾に終わった。ただ一人、徳富蘆花だけが有効弾足り得
た。まことに蘆花の言うごとく、この死刑判決は「暗殺」であった。

 大逆事件の捜査は新宮、大阪、神戸、熊本への拡大の一途であった。

 その荒廃した強権の吹き荒れる情勢を見て啄木は多くの短歌を創りだし
た。

   明治四十三年の秋のわが心ことに真面目にあんりて悲しも

   何となく顔が卑しき邦人の首府の大空を秋風吹く

   秋の風われら明治の青年の危機をかなしむ顔なでて吹く

   時代閉塞の現状をいかにせむ秋に入りてことにかく思ふかな

 秋が深まるとともに啄木にさらなる危機感と緊張が走った。大逆事件に
象徴される強権の社会で逆に思想に目覚める啄木であった。

 若山牧水主宰の「創作」に発表した短歌「九月の夜の不平」三十四首
より

  人がみな恐れていたく貶(オト)すこと恐れえざりしさびしき心

  雄々しくも死を恐れざる人のこと巷にあしき噂する日よ

 明治44年1月18日24名に死刑判決

 1月19日「朝に枕の上で『国民新聞』を読んでいたら、俄かに涙が出た。
『畜生!駄目だ!』そういう言葉も我知らず出た。」

 1月23日、24日処刑

 1月26日「社から帰るとすぐ、前夜の約を履んで平出君宅へ行き、特別
裁判所一件書類を読んだ。七千枚、十七冊、一冊の厚さ約にすん,乃至三
寸づつ。十二時までかかってようやく初二冊と、それから管野すがに分だ
け、方々拾い読みした。頭の中を底から掻き乱されたような気持ちで帰っ
た」

 この訴訟記録は厳重に管理されて、担当弁護士にさえ「一時貸与」であ
った。判決後は回収されることになっていた。1月26日が返却日であった
のを啄木が無理に頼んで一日延ばしてもらったのである。啄木の熱意と
平出弁護士の勇気の結果である。日本の文学者の中で唯一、大逆事件
の原資料に接したのが啄木であった。

 『A Letter from Prison 』の作成、その中の裁判批判

 「幸徳が此処に無政府主義と暗殺主義とを混同する誤解に対して極力
弁明したということは、極めて意味のあることである。蓋し二十六名の被告
中に四名の一致したテロリスト、及びそれとは直接の聯絡なしに働こうとし
た一名の含まれていたことは事実である。後者は即ち皇太子暗殺を企て
ていたもので、此事件の発覚以前から不敬事件、秘密出版事件、爆発物
取締罰則違反事件で入獄していた内山愚童、前者は即ちこの事件の真の
骨子たる天皇暗殺企画者管野すが、宮下太吉、新村忠雄、古河力作であ
った。幸徳はこれらの企画を早くから知っていたけれども、嘗って一度も賛
意を表したことなく、指揮したこともなく、ただ放任して置いた。これ蓋し彼の
地位として当然のことであった」

 だがこの中「内山愚童による皇太子暗殺計画」は存在していない。幸徳
が一度も賛意を表していない、も事実に反する。しかしこの事件骨子を四
人のテロリスト計画と見抜いているのは慧眼ではある。
 
 そして啄木は

 「さうして幸徳及び他の被告(有期刑に処せられた新田融、新村善兵衛
の二人及び奥宮健之を除く)の罪案は、ただこの陳弁書の後ろの章に明白
に書いてあるとおり、東京の一時占領を計画したというだけの事で、しかも
単に話し合っただけ、ー意思の発動にとどまって、未だ予備行為に入って
いないから、厳正の裁判では無論無罪になる性質のものであったに拘らず
、政府及びその命を受けたる裁判官は、極力以上相聯絡なき三箇の罪案
を打って一丸となし、以って国内における無政府主義を一挙に撲滅する機
会を作らんと努力し、しかして遂に無法にもそれに成功したのである」

  あの時点においてこれだけ大逆事件の裁判の本質を見抜いて喝破した
啄木の批判能力は、・・・天才的である。権力により、あたかも迷宮のように
複雑怪奇な判決文を一刀両断に見抜いた啄木の頭脳は素晴らしい。



  判決批判を書いた三ヶ月後、・・・・の詩

 
     ココアのひと匙

  われは知るテロリストの

  かなしき心をー

  言葉とおこなひと分かちがたき

  ただひとつの心を

  奪はれたる言葉のかはりに

  おこなひをもて語らんとする心

  われとわがからだを適に擲げつくる心をー
  
  しかしてそは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり

 
  はてしなき議論の後の

  冷めたるココアのひと匙をススりて

  そのうすにがき舌触りに

  われは知るテロリストの

  かなしきかなしき心を


  この詩を書いた翌年、1912年4月13日、わずか26歳で石川啄木はこの世
を去った。
 

  

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