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zoom RSS 花柳幻舟さんの闘い―窮極の過激、ーを生んだ差別社会

<<   作成日時 : 2014/05/24 15:39   >>

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 花柳幻舟さんといえば、人々は往々にしてすぐ人目を引いた何か突飛
な事件だけを思い浮かべてしまう。確かにそこには彼女の信念の所産
の行為ではある。花柳寿輔を国立劇場で襲ったこととか即位の儀のパ
レードでの一件とか、・・・・。だが幻舟さんの真実は社会の卑劣な差別
、偏見に対する純粋無比な怒り以外の何物でもない。それは誰よりも
幼い時から差別され、唾棄すべき偏見を浴び続けた彼女に培われた、
崇高と言って過言ではない抵抗の精神である。

でも幻舟さんはすごい人だ。花柳の宗家家元の寿輔を襲ったシーンの
記述は感歎である。

 「私の前を寿楽が通り過ぎた。その時私は、寿楽の後に続く家元にスー
っと近寄った。花束を持った私を見て、ファンと思ったのか、家元は少し足
を停めた。私は花束とともに、自分の上半身を家元にぴったりくっつける
格好になり、その瞬間、花束で隠していた包丁を、寿輔の右首筋にすくい
上げるように、斬った」

 「その時、私は予定していなかった言葉が、静かな声となって出た。
『思い知りなさい!』・・・・・この言葉こそが、私の三十数年の、半生の全て
の思いを込めた、生命の言葉だったのです」

 「私は寿輔のさながら大名行列のような、舞台から帰ってくる姿を見た
時,『こんな人間に、この十数年間、爪の灯をともすように、家元制度の悪
を訴えて来たのか』こんな権力者が、人間どもが私たちのような下層芸人
を踏みつけて、差別を作って来たのか、−いくら頼んでも何も通じない。
痛い思いを自分の体でしなければ、人の痛みなど分からないのだ』」

 「私の『思い知りなさい』の声に家元は驚いたのか、後退りを一、二歩
した。寿楽の背後に横に寿輔は一歩ゆっくり歩いた時、血が顎から首筋
にかけてスーっと流れた」

 「血を見て『な、なにすんのさ!』家元はあられもなく言った。−私は驚い
た。大流派の宗家家元たる人間が、いくら突然の出来事でも,『な、なに
スンのさ!』はちょっとヒドかった」

 「人間、本当にいざとなると本性がみえるものらしい」

「いかに突然の出来事とはいえ、寿輔を誰一人、自分の身をもって助け
ようとしなかったことを見て。権力の座に座る人間を哀れにさえ思ったもの
です」

 「警察には、私を突き飛ばし、取り押さえたなどと作り話をする者まで
現れていっそう哀れを誘いました」


花柳幻舟さんの言われる世襲集金システムの家元制度は確かにずるい、
・・・・・ずるいのだが基本的には日本人の根底にそれらにたかり、収奪され
る奇妙な喜びを持ってしまうという精神性がある。収奪されてもどこかに所属
しておきたい、という依存心である。幻舟さんは「天皇制があるから家元制度
がある」、・・・これは幼い頃から旅役者の子として一般世間の徹底した蔑み
と差別を受けてきたことの怒りの帰結である。

  似たような表現で被差別部落を論じる場合。「天皇制があるから被差別部
落がある」という運動家の言葉もある。気持ちはわかるが基本的に天皇制な
どそれほど重視すべき事柄でない、と思えてしまう。被差別賤民は世界の
多くの国であるが別に天皇制に類するものなどない国でも存在する。

 幻舟さんがいう天皇制も結局、明治からの国家神道専制国家、教団国家
における祭政軍一致の国家における天皇制である。歴史自体は短いが、日
本人は近代アナクロ祭政一致教団化の日本での天皇制を想起してしまう。
3世紀の日本を記述したとされる三国志の中の魏志倭人伝。・・・「天皇制
に邪馬台国はタブー」というのはある意味何が本質か、核心をついている。
古事記や日本書紀など三国志よりはるかに後代の代物である。江戸自体
から前の民衆は天皇が誰か、知らなかったし関心すらなかったのである。

士農工商、その下の階層、埒外の公家勢力という身分制度を確立した
のは江戸幕府である、・・・・・・名目的存在の公家勢力の中の天皇は特に
影響はなかったが、・・・・明治以降の日本人への影響が大きすぎる天皇
「制」である。

 卑弥呼は天皇を知っていたのでしょうか?邪馬台国がタブーの所以であ
ろう。

 天皇「制」などという言葉自体が明治以降のもでしかなく、江戸時代(も含
めてそれ以前)の日本人は天皇制などという概念は全くなく、ましてナショ
ナリズムもない時代、庶民は京都にいる天皇の名前など知ることもなく、
心になかった。

 日本人が無意識的に思い込んでいる天皇制とは近代祭政一致国家に
おける概念でごく歴史は短い。

 例えば、「津田左右吉は何も天皇制を否定はしていない」という場合、
この「天皇『制』」がいったい何を意味するのか問わない以上全て無意味
と私は思う。明治以降の国家神道教団化した近代日本のものですか、
それとも京都に名家として名目的に存在している状態でしょうか?
まさに日本人にしみわたる「創宗された国家神道」の影響である。

 それはさておいて、・・・・

 ま、こんな考えは幻舟さんの思想をはぐらかす程度のものでしかないが、
でも彼女ほどの女性もいない。男性も含めていないだろう。口では言えても
まず実行などできないからである。彼女ほど真の意味で過激な人は他に
いない。

❐ しかし、幻舟さんの父親は関西歌舞伎界の大部屋俳優であった!
決して、大衆演劇の旅回りで通した人ではない!

 父親は美奈吉といったが、歌舞伎での芸名は嵐家三郎。父親は世襲性
が幅を利かす梨園に絶望し、戦後、旅役者となったのである。お母さんも
歌舞伎俳優の妻となった人だから美人だったのも当然である。なお付言
すれば父親は初代の嵐家三郎に師事し、二代目となったようである。

 幻舟さんに見られる見識の高さは理由がある。1962年日舞花柳流に入
門し、1966年に名取りになった、・・・が家元制度に束縛された日舞に疑問
を抱き、1968年4月、大阪中座「花柳幻舟リサイタル」で渋沢竜彦原作の
「赤道幻滅」を舞踊家として前衛劇に挑戦し、日本舞踊界の反逆児として
注目を一身に集めた、・・・・・。並の方ではないのである。
 ただしこの前衛舞踊家の道で花柳流の名取の籍は抹消された。だが
この後、大島渚監督や歴史学者、哲学者の羽仁五郎氏の支持を得て
家元制度批判、天皇制批判へと向かったのは周知のとおり。映画出演
もこの頃続いた。中でも評価の高いのが日活(㊙色情めす市場)田中登
監督において釜ヶ崎のドヤ街で客を引く芹明香の売春婦トメの母親役で
40歳を過ぎてなお売春を行う、よね、−を強烈な演技力で熱演した、−
である。半端でないのである。

 世襲制の梨園に泣かされた父親の怨念が彼女に伝わり、家元制度、ゆく
ゆくは天皇制への「世襲特権」に疑問を抱いたのである。

✱ただ一つ気づくこと、・・・・幻舟さん一家が旅回り役者という苦難に
陥った理由は歌舞伎界、−梨園の世襲制、排他性である。それこそ
親の仇のはずだが、・・・・彼女はもっぱら家元制度、−花柳流攻撃は
行っても、さらには天皇制にまで進んでも、・・・決して歌舞伎の世界、−
梨園への攻撃はしない、・・・・ここにある種の幻舟さんの心の中の超えら
れない、わだかまりのようなものが、・・・・あるのだろうか、と思ったりする
のであるが。


 ふと読んでいて思った。幻舟さんと私と生い立ちはどちらが不幸だったか。
どちらも非常に不幸でも質的には違う。私の場合はあくまで親の非人間性、
虐待、いやな家庭に悩まされ続けた。幻舟さんはまだ親、周囲の慈愛があ
った。でもこっちは無名の市井人、彼女は歴史上の人物ですから。

幻舟さんは旅回りの役者の子供、ご自身も一員で舞台に上がっていた。
苦難を極めても親の慈愛、配慮、一座ならばこその人の情を受けて育った。
、・・・・私ときては子供への一切の愛情も配慮もない、冷血な知的障害のあ
る親の虐待を受け続けて育ったのだから苦難でも質的には大きく異なる。

 商店街でも「あの家だけはちょっとへんだ」と侮蔑され、子供からも「口惜
しければ普通の親に生まれてみろ」と嘲笑された苦い思い出。親はそんな
子供の苦悩に一片にも配慮したことはなった。父親(とされる人物)について
は心というもの自体のない不幸製造機で冷血残酷な性格、・・・母親につい
は、・・・・「本当によくいじめられた」と無念の涙を持って思い返す存在でし
かない。確かに私の場合は、芥川龍之介の「人間の不幸は親子となった
ことに始まる」は真実過ぎた。

私自身、子供を持っていかに子供の存在がかけがえのな至上のもの
か、命以上の価値があるものか、愛情は深まることはあっても小さくなる
ことなどない、と痛感する。子供が小学校時代でも、担任に何か言われて
泣いて帰ってきたらすぐに学校に行って校長とも面会するくらいなのに、
、守るどころかあれほど狂気のようにイジめぬいた親をどう考えたらいい
のやら、・・・・・。虐待の内容はとにかく徹底して口汚く罵る、嘲る、脅す
、・・・・・これが本当に親?確かに親を見ていて痛感したのは全てに優
先は「二人別れない」ことで、だから亭主がルンペンになったら喜んで
自分もルンペンになる、・・別れたくないから、…子供は道連れ、どうに
でもなれ、亭主に憤懣があったら子供を罵る、・・・・・。絶句であった。
子供の頃から自分自身は苦しみを味わうために生まれたようなもの、と
いうあきらめがあった。子供を守るのは親しかおらず、親の絶対の責務
、・・・・・・のはずがこのザマでは、・・・・・。

 でも即位の儀パレードでの幻舟さんの行動後、支援するとしていた人
たちがほとんど怖がって宿泊もさせてくれなくなり、彼女が京都の支援者
に居留守をつかわれたのに絶望し、大阪をめざし、京都から深夜山越え
を決行したなどという話を聞くと、これ以上の人はいないとさえ感じる。

 でも幼い頃から、しがない旅役者の子でどこに行っても河原乞食と徹底
差別、迫害、いじめを受けた。彼女は器量もいいので子供の頃から一座に
欠かせない存在だった。他の子供は離れて預けられていたようだ。幻舟さ
んの苦しみの人生は他人には想像もできないだろう。

 天保の改革で江戸では歌舞伎役者は一斉に捕縛され、人間扱いされず
一匹、二匹と蔑称された。河原乞食は古来、被差別賤民以下の扱いだった。
今歌舞伎役者が何か天皇の次に偉いみたいな扱いでも、今までの虐げられ
た歴史を顧みて祖先の苦難を忘れてはならない。

 戦後、旅役者だからまさに日本社会の最底辺である。私の家庭は商人で
も最底辺だった。家がなかった。それは生涯続いた。

 「冬の花火」の中から

 「学齢に達したので、学校に行かせるため父は私をファンのお家に預けま
した。小学校に入学しました。宝塚市にある小浜小学校という所です。

 小学校に行き始めても家の人は誰も私に近寄らず,『あの子、旅役者の
子やで』と聞えよがしに言って、汚いものでも見るように私を見るのです。

 置いていただいたいえから遠い道のりでしたが,お友達のいないのは、−
いつも私一人。
 
 『やあい、旅役者の子!河原乞食!』

 と学校の行き返りにはいつもからかわれました。

 皆、新しくきれいなランドセルを背負っているというのに私は学用品を風呂
敷に包んで小脇にかかえ、ゴムゾウリ、−みすぼらし私の姿はいじめっ子に
は格好の対象でした。

 『こら、お前、捨て子やろ!』

 『まねし漫才、役者の子!』

 はやし立てられて、石を投げられ、細い農道を泣きながら、何度、逃げ回っ
たことか、・・・・・。今思い返しても悔しさと悲しみで胸が痛みます」

 読んでみて何か過去の私を見ているような、・・・・気持ちさえしてきた。

 「冬の花火」は確かに過激だが、涙なしで読めない内容でもある。

 でも彼女の本を読んで感じるのは家族愛、というか特に父親の愛に恵まれ
ていたこと、本質的に親に誇りをもてていたこと、・・・・・私とあまりに正反対で
ある。母親はたいへん美人でそれは幻舟さんの自慢でもあったとのこと,-
そのお母さんに似ていらっしゃるのか、幻舟さんも、とても美人である

 「私は芸のことし考えない父親が、なぜか、大好きでした。」

 「父と母が旅芸人として暮らす中で、私にたいへんいいことを教えてくれた
と思えるものがあります 『人間は生まれて死ぬまでたった一人だ。一人で
寂しいからこそ、ふれ合った人との人間関係を大切にしなければならない。
みんな寂しいのだから人を傷つけてはいけない』という人生哲学です。この
人生哲学は今、一人で生きている私にどれほど役立っているか」

 心に残るいい文章である。でも私の悩み、絶望は親にまったく精神性自体
存在しなかったということ、・・・・救いようがなかった。

 幻舟さんは「家なき子」と自らを何度も表現されているが私もまさに「家なき
子」だった。故郷も親に踏みにじられ、落ち着く家もなかった。通常は当然の
家庭も家も私にはなかった。

けれど幻舟さんの本を読ませていただいて、なぜ彼女が差別への闘い
に挑むのか、よく分かる心打たれる文章が多い

 「どこかの興行地でのこと、芝居小屋の前で私が石けりで遊んでいたら、
私の前を同年齢くらいの女の子を連れた母親が通りかかった。女の子が
駄々をこねていた。そうしたらその母親は

 『そんなことばかり言ってたらこの芝居小屋に売るで』

 その言葉を聞いた時、私は発作的に芝居小屋に逃げ込んで大声で泣い
た。『売られたんとちゃうわい! お父ちゃんは役者なんや、うちも生まれた
時から役者なんや!売られたんとちゃうわ!』

 あの悲しさと、恥ずかしさは昨日のように鮮明である。

 子供の心は真っ白で生まれる。そこに、真っ白な紙にポトっと墨を落とす
ように、職業に対する差別とか、服装などへの偏見を教え込む。

 確かに私の服装は貧しかった。でもちゃんと洗濯をしていた。汚れては
いなかった。学校にもほとんど行けなかったから勉強は出来なかった。
 でもどこにでもいる子供と変わらない。当たり前です、私は人間の子です
から。人間扱いをされなかったけれど、私は人間の子です。本人が言うの
ですから間違いはありません。

 私は真っ白な紙に、こともなげに薄汚い差別の、偏見の墨をポタポタ落と
していく教育者が、大人が許せなかった!

 私は学校に行けなくて本当によかったと、つくづく思える人間になれた。
学校に行かなかったからこそ差別を偏見を教える薄汚い教育を受けずに済
んだ。
 旅回りの子だから、人の情について、優しさについて骨の髄まで知ること
ができた。小学校中退も旅役者であることも誇りにさえ思っている。」

  それと幼い頃、出演している劇場での話。役者専用のトイレもなかっ
た。そこで芝居の合間、幻舟さんと母親がトイレに行った、誰か入って
いる。母と娘はトイレの前で待っていた、・・フとトイレの前をみるとキューピ
―の人形が置いてあった。幻舟さんはその人形をじっと見つめていた。娘
がそれを欲しがっていると思った母親はそれを鷲づかみにして楽屋に逃げ
込んでいった。それまで貧しさで娘におもちゃ一つ買ってやれなかった母
だった。娘のために盗みをしたのである。そしてその人形を幻舟さんに持
たせてくれた。・・・・でも彼女の記憶ではその後、父親が母親の頭を叩い
てその人形を他の女の子に渡している光景であった。母親と同じくらいの
きれいな着物を着飾った女の人がじっと母親を見つめていた。

 「母はきっと、私のためにそのキューピーを盗もうとしたのでしょう。かわ
いい娘におもちゃ一つ買い与えられなかった母は辛かったと思います。
愛する人にはどんな無理をしてでも!でした、我が子です。私には子供
はいません。産んだこともありません。でも、人の愛情は十分に理解でき
る人間には育ちました。当時の母の思いがどんなであったか、私は胸が
張り裂ける思いでその辛さが伝わってくるのです。」

 私は幻舟さんの真実の心の叫びを読ませていただき、本当に感銘を受け
た。心より感謝しています、。私も多少は色々な本、文章を読んではいるが
幻舟さんの文章ほど至高の内容にはお目にかかったとがない。幻舟さま、
あなたの心は本当に美しいと思います。

花柳幻舟さんの文章は、ー端的に言って愛というものの神髄が描かれ
ていると感じます。

ただ惜しまれることは、−社会の幻舟さんへの歪んだ偏見が彼女の
崇高な精神の叫びを読み取ろうとしないことです。

 「冬の花火」では彼女の辛酸はいかにすさまじかったが語られている。

 「お父ちゃんもさぼってはったんと違う。・・・・貧乏やった。それだけのこと
や。旅回りの役者の中にも悪い人はいて、でもそれはどこの世界でも同じ
ことや。同じ人間なのになぜ私らだけは卑しめられ、悪い人や、汚い人や、
怖い人や、と言われ続けるの。好きで生まれてきたんやない。子供には
親は選べられんのや。親の職業も私が選んだもんやない!

 私は頭の中が混乱し、16歳の秋頃でしたか、もう生きることに疲れてた
野でしょうか、阪急の十三駅のホームで飛び込み自殺を試みました。でも
駅員さんに助けられて、・・・。

 自殺を失敗して数日後でしょうか、淀川の土手に立って、河川工事をして
いるオッチャンたちを見るでもなく、ボーっと見ていました。何時間も見てい
ました。オッチャン達は昼休みでしょうか、三々五々座り込んで弁当を食べ
始めました。
 するとオッチャンが『おーい、姉ちゃん何してんねん』

 『姉ちゃん、朝からずーとおったやろ、何してるんか皆で心配してたんや。
気にかかって仕事にならんがな、お腹へってるやろ、ねえちゃん、どこの子
や』
 私はそのおっちゃんの言葉にだんだん切なくなってベソをかき、すわり
込んで大声で泣き始めました。

 『腹へってるやろ、これ食べてみい』、・・私は本当に久しぶりに人の心の
暖かさにふれる思いでした。
 私はおっちゃん達の口利きで護岸工事の労働者として翌日から雇っても
らいました、・・・・」

 ちょうど昭和50年頃、淀川の土手で死のうかと思ってずっと川を見ていた
私の姿がここでも二重写しになる。見上げたら東海道線が通っている、・・
「ここ死ねるかな」と。
淀川の堤防を降りて河川敷、上を見上げたら東海道線(大阪〜塚本間)の
線路が見える、・・・・そこで長く座って迷いあぐねたものだが、・・・・。

私といえば家は夜逃げをして隠れ家みたいな陋屋、大学に入って帰る
といえばここ、・・・「こんな家になって済まない。でもよく帰ってきてくれた」
と帰省したら言ってくれる親ではなく、白痴ていどの知能になっても凶悪
でなんと罵詈雑言の嵐、・・・家がこんなでは高校の同級生にも恥ずかしく
てあわせる顔もない、・・・・絶望の極、・・・・呆然と眺める淀川だったが。
大学に行っても私のような家庭など、…ある道理もない。

親が不渡りを出し、無一文で夜逃げをした、となると親戚まで寄ってた
かって私をいじめ始めた。誰一人、助けてくれる人はいなかった。

 でも幻舟さんは「学歴さえあれば」と書かれているが私が痛感したことは、
学歴などあまり意味はない、・・・・家庭の方が遙かに重要だ、・・就職でも、
であった。けど、小学校中退の彼女が高卒と偽って建設省にバイト、美人の
なのですぐプロポーズされて結婚、でもそこで知った家庭での女性への束縛。

 
 結婚しても女性への不当な差別的扱いに耐えられない、・・・・・。

 「考えた末、私は夫から自立するために、子供の頃からやっている踊りの
世界に入りました。これこそが夫を頼らず生きていける道、一人で生活でき
る道だと考えたからです」

 「芸能の世界なら、学歴、血筋など全く関係ないだろうと思って入ったので
すが、実は全然反対で、家元制度という日本しかない制度にぶつかったの
です」

 「もともと家元は技芸、武芸を実践する人として存在していたのです。そし
て権力者の庇護のもとで生存をはかっていったのです。現在のように金を
取って人に教えることで家元としての権威を持ちつ家元制度となったのは
士農工商の身分制度が確立された江戸時代からです」

 「現在存在の家元は実力でなく家元制度の守られた、世襲制の中で胡坐
をかいている木偶であり、何の才能も実力もない人間が家元なのです」

 「私は何としても自立しなければいけない。一日も早く夫の家族から自立
したい。そのために踊りは大切、学歴もない私は実力で勝負できる芸能の
道しかない」

 そこでぶつかった家元制度なのであるが。

 「私は家元制度を学ぶうちに天皇制にぶつかりました」

 「会ったこともない人を敬い、その人に従う天皇制の思想の下につくられた
のが家元制度です」

 私見だが誰も天皇を意識しなかった江戸時代にできたのが家元制度なら、
世襲という共通点だけで、しいて天皇制と家元制度は関係あるとは言えない
のではないか。心に巣食うものではないのか?

 「家元制度の不合理を発見したとき、それ自身で家元制度は解決できる、
と思いました」

 「でも家元制度の根底には天皇制があり、絶対に改革は不可能だと知りま
した」

 「私は一人で生きて行こうと決意し、舞踊の世界を選び、因襲の家元制度
を知り、自立のために家元制度を改革しようと思ったとき、私にとっての本当
の敵、天皇の『血』というイデオロギーにぶつかったのです」

 「私にとって天皇制の悪は半生を懸けて許すことが出来ないものとなって
いきました。なぜなら天皇制の血のイデオロギーこそが差別を育て、差別を
温存させるものだからです」

 「わが半生を顧みて差別され続けてきた私には天皇制の血のイデオロギー
こそが悪の元凶と知った今、決して許せるものではありません」

ただ幻舟さんの著書を拝読すると初期のものはそれほど天皇制について
過激な攻撃性は感じられない、・・・のですが、年を経るにしたがって増幅
している気がする。70年代まではエロチックな内容が多い、・・・・。

 1981年の国立劇場での花柳寿輔襲撃事件までは天皇制否定の言葉は
見られない。1977年の「わが闘争」は表題の過激さとは裏腹にエッチな話
が満載で、天皇の章でも

 「天皇さま、もっとご自分のお仕事に誇りを持って、現役がもう無理なんだ
から、・・・・」
 「私でも旅役者,河原乞食と卑しめられながら、今日、芸人としての誇りあ
る生き方をしているのですから,私ごときに負けないようしっかり頑張ってい
ただきたい」

 後年の過激さは見られない。・・・・と思いきや同じ本で家元制度の章では

 「家元制度打倒は天皇制打倒です」と書いているからやはり変わっていな
いのかもしれない。

 国立劇場で幻舟さんが見た花柳寿輔の舞踊は宗家家元のかけらもない、
ひどいもので「これで家元なんて」と怒りをふつふつと湧いてこられたそうだ。
でも下手でも芸術の最高位の褒章を受けられる日本である。

 要するに幻舟さんも思想は深化を遂げているのである。

 私は天皇制、−と皆、−幻舟さんも含め、思っているのはごく最近の人為
的な国家的フィクションであると考える。長い歴史で民衆が天皇で頭が一杯
だった、・・・ことは明治になってからの話である。・・・されど幻舟さんほどの
真の意味で過激に徹する方はおられない。右翼に命を狙われても臆さない
心意気は長く差別され続けた方の信念だろうが、・・・・・・。

 「天皇制があるから」というのは逆に過大評価を助長する心配がある。「天
皇制があるから」で批判的説明するのは実は狂信の裏返しである。それほど
明治以降の国家創宗の国家神道国家教団化は瞬時に日本人の骨の髄まで
沁み込んだのである。

日本人が今、「古来ある」と思い込んでいる「天皇制」とは明治政府の人為的
なフィクションでしかない。右翼とか保守派といわれる人たちはそのフィクショ
ンに踊らされているだけである。「復古派」と言われる人たちは「復古」どころか
「超近代主義」なのである。やっと150年くらいにしかならない国家による創宗
の教えを神代の昔からのものと思い込んでいるのだから。

 ✱美濃部達吉博士の言われた,・・天皇機関説、・・・である。

 天皇は機関である。割り切って考えるべきである。

  でも当時馬鹿な軍人が「天皇を機関車と同一視した」などとクレームを
つけたのですから、・・・・。

 はっきり言って幻舟さんの差別、偏見への闘いは「天皇制」などで矮小化
されるべきでないと感じます。それほどの純粋さに満ちていると思います。
その主張に暴力的実力行使は必要ないのでないでしょうか。

日本の風潮がますます際限もない差別、偏見に満ちた阿鼻地獄の様相
を呈する状況で幻舟さんの思想は大きな価値を、−普遍的な価値も持つと
考えます。

 、・・・・・されど幻舟さんほど熾烈に生きた人は知らない。驚きである。

 この世の底で踏みにじられて生きてきた者でしか分からない魂である。

 願わくは、幻舟さんの悲願である、薄汚い、唾棄すべき差別、偏見がこの世
から消え去らんことを!


  
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